目的果たせない旅~韓国旅行③

快速列車に揺られ水原駅に着いたのは
すでに21時を過ぎていた

駅に降り、カカオトークで
迎えに来ているはずの姪っ子に連絡を入れる夫

カカオトークとは、日本でいうLINEのようなツールで
韓国の国民の9割以上の人が使用している

韓国のその会社から
日本向けにできた子会社がLINEだ

迎えに来ているはずなのに返事がない
カカオ電話をかけても繋がらない

おかしい・・・

なんと、困ったことに
夫と私のスマホで使用していた
海外で使えるWi-Fiのバッテリーが切れていた!

そこで、データ通信をオンにしてみたがダメ

日本ではWi-Fiなくてもデータ通信ができるが
韓国ではできなかった

すぐに充電をしようとしたら
なんと!充電器のバッテリーも切れていた

よりによってこんなことってある!?

昨夜はお兄さんの家で充電させてもらっていたのに
やがて私のスマホも切れる寸前だ!

駅の公衆電話を見つけてお金を入れ
姪っ子の携帯番号に電話をかけるも
まったく繋がらない

なんなら他の兄弟にもかけてみたが
コールはしても誰にもつながらないのだ

夫はいまや浦島太郎なので
公衆電話のかけ方さえもわからないのか?

どんどんお金は落ちてゆき
一度も繋がらないのにお金は戻らない

なんで?

すでに到着してから30分以上経過している

姪っ子も心配しているだろうから
駅の周りをぐるっと見てきたら?

私を残して外に出て行った夫
しばらくして戻ってきた夫が言うに
外は真っ暗だし、どこが車の送迎場かもわからない
思いのほか水原駅は大きい

すでに1時間以上経過していた

飲み物も持たず列車に飛び乗り
のども乾いたしお腹もすいた

自販機を見つけ飲み物を買おうとしたら
現金は使用不可だった

あ~、わたしたち
なにか悪いことしたかなあ
ただ、オモニに会いたくて来ただけなのに
オモニにも会えず行ったり来たり
おまけに行く先々で誰かの世話にならないと
自分たちで動けないなんてなんとも情けない

と、そこで
夫が駅構内の警察出張所を見つけ駆け込んだ

これこれわけを話して
まず、Wi-Fiに充電させてもらう
それからスマホも

海外Wi-Fiがこんなにも大切だなんて
私は日本にいる感覚と同じだろうと
全く甘く見ていた

夫に至っては、私に全て任せきりで
日頃から《大丈夫大丈夫なんとでもなる》の人だ

私たちだけならそれでもいい
いくら親戚でも周りを巻き込んではダメだ

充電が少しできた時点で
カカオ電話がつながった!

オディイッソ!!(どこにいる)

姪っ子の少しむっとした声が聞こえた

姪っ子は1時間ほど駅前で待ったものの
連絡もつかずどうしようもなく
1時間半の道のりを再び帰路へ
半分帰ったところだった

あまりにも申し訳ないので
今夜はこのまま
駅の近くのホテルを探しても良かったのだが
姪っ子は迎えに来てくれた

姉妹で来てくれており
最初の晩に泊めてくれたのは次女で
今夜は長女の家に泊めてくれるという

マンションに着いたのはすでに
夜中の12時を回っていた

にもかかわらず
旦那さんと息子が笑顔で出迎えて
二人で荷物を運んでくれた

今夜は旦那さんの部屋を使ってください
とのこと

若い人が起きているうちに
Wi-Fiとスマホと充電器
この三つの命綱というべき機器を
充電させてもらった

7年前はコンセントも不便はなかったが
今回はどこの家庭も日本で使用するタイプの
コンセントでは使用できなかった

姪っ子がお腹空いたでしょう、と
サンドイッチやシュークリームを
出してくれた

お腹は空いていたけど
疲労と時間が遅すぎて
あまり食べる気にはなれなかった

疲れているはずなのに夫は良くしゃべり
旦那さんと息子もニコニコ話に
付き合ってくれていた

私は皆が寝てから
シャワーをさせてもらおうと思っていた

韓国ではほとんどの家が
シャワーとトイレが一体だ
日本のビジネスホテルのように

そして韓国では寝る前にシャワーはしない
朝起きた時にシャワーを浴びる
これは国民性で夫けんちゃんもそうだ

一方私は日頃から
どんなに疲れていても眠くても
お風呂に入るかシャワーをしないと
寝床に入ることができない

明日は自分たちで動けるから大丈夫
ただ、最終日帰国する日は
朝6時には空港へ行っておかないといけない
空港の近くのホテルを予約してもらえる?

これだけはお願いして息子が検索して
姪っ子がネット予約を入れてくれた

時計を見ると夜中の2時!

翌朝も旦那さんも姪っ子も仕事
もう寝ましょうと声をかけようやくお開きに

旦那さんの部屋は何もなかった
本が数冊棚に置いてあるだけで
本当になにもなかった

とても穏やかで優しそうな人
マッチングアプリで知り合い結婚したのだとか
韓国では日本以上にそんな出会いが成立しているという

姪っ子が言うには
睡眠が一番大事という考えから
夜はゆっくり眠れるよう
夫婦でも親子でも部屋は別々なのだそう

そういえば
今まで訪問した家庭も全てそうだった

 

韓国滞在4日目の朝

旦那さんと息子さんがいつの間にか起きて
静かに支度をして仕事に出て行った
朝食はとらないらしい

姪っ子も仕事に行くというのに
朝ご飯を作ってくれた

タコの刺身に魚を焼いたもの
胡桃を甘く絡めたものが美味しかった

朝食を終え、バス乗り場まで
歩いて送ってくれることに

最近のマンションの入り口には
こんなゲートが設置されていて
住人以外は入れないシステムなのか?

敷地内にはいくつもの
マンションが建ち並んでいて
駐車場入り口には守衛さんもいた

姪っ子の後ろ姿を見ると
うちの長女の背中にそっくりだった

長女は夫の背中に似ているから
やはり家系なんだな
こんな離れた土地に娘たちの従姉妹がいる
ちょっと感動してしまった

姪っ子たちは二番めのお姉さんの娘で
コロナ禍、お父さんに会うこと叶わず亡くなり
普通の葬儀をすることすらできなかった
今でも心残りと泣いていた

バス停でバスを待つ間
電動のキックボードがあちこちに
見受けられた

これはシェアキックボードで
QRコードにスマホをかざして
好きな場所まで使用できるらしい

現在は国内免許か国際免許がないと
使用できないよう規制されたらしい

バスに揺られ到着したのは
昨夜、大変だった水原駅

夫が昨日の警察官の皆さんにお礼を
とくるみ饅頭を購入して届けた

ソウルを中心に地下鉄が張り巡らされていて
どこまでも行ける
が、下りる場所、乗り換え地点を
間違えないようにしなければならない

最後までオモニ(お母さん)に
会う希望は残しつつ
日本を出発前にテレビで放送していた
クァンジャン市場に向かうことに

テレビでは韓国最大級、と言っていたが
韓国の人に聞いても知らない人が多かった
隣が有名な東大門市場だからか

大きいスーツケースとバッグをいくつも
持ち歩くのはしんどい

ソウル駅でまず荷物をロッカーに預けよう
という私の意見に対して
夫はこのまま乗っていたら市場まで行けるから
そうしようと意見を押し通した

ちょっと嫌な予感がした

最寄りの駅で降りてそこのコインロッカーに
スーツケースなど大きな荷物を預けた

韓国へ来て初めて
身軽になった気がした

市場は活気にあふれている

ごちゃごちゃ、という言葉がふさわしい

チヂミが何枚も積み上げられている
通常は焼くわけだけど
大量に作るためか油で揚げていた

日本のたこ焼きが
揚げたこ焼きになった感じだろうか

海鮮も豊富

魚の干物
チゲにすると美味しい

ユッケのお店
次女がいたら喜ぶだろうな

キンパ

通常のキンパは姿を消し
どのお店も数年前から流行った
ミニサイズの《麻薬キンパ》だった

早速、空いている屋台に腰掛けて
キンパをいただく
麻薬キンパの特徴のひとつ
からしだれにつけながら食べる

夫はここでもスンデを注文

よほど好きなんだね

豚の耳を切ったもの

マンドゥ

チャプチェ
混ぜてないんだ
注文を受けてから炒めるのかな

こちらも豚のなにか

海鮮チヂミ、美味しかった

韓国のたいやき
ハングル文字で
シュークリームと書かれてある

韓国ではカスタードクリームのことを
シュークリームと呼ぶのか?不明

写真はないが、入り口付近に
若い子を中心に行列になっているお店があり
日本で言うねじりパンに
シナモンシュガーをかけたようなものだった

鞆の浦の今はなき村上パンで
揚げたてのねじりパンがとても美味しかった
思い出しながら並ぶ気にはなれなかった

それとあちこちで何軒も見たお店がこれ

生のフルーツジュースのお店

予めこの容器にいちごやパイナップルなど
フルーツがぎっしり入っていて
お客が自分で選びミキサーにかけてもらう

これは普通にとても美味しかった

通りを横にそれると
お魚横丁みたいな魚料理ばかりの路地があり

いろんな種類の魚を表で焼いていた

夫はこの通りをえらく気に入り感動していた

そこからさらに奥へ歩くと
手芸品や古本屋さんが並んでいた
夫は重いのに本を何冊か買った

昔のアンアンなど日本の雑誌も売られていた

本屋の次は園芸屋さんで
韓国でも多肉が人気のようだった

市場は古いものも残しつつ
常に流行りの食べ物を取り入れ
素早く売れるものに変えてゆく
昔、私が見て驚いた韓国の
商売魂を再び見た気がした

そうこうしているとあっという間に15時
夕方には仁川のホテルに到着したい

娘たちから頼まれたマスク(顔のパック)を
買いたくて明洞行きを希望

地下鉄で15分ほどで着く

ここまで戻ってこなくて済むよう
荷物をもって移動しようと提案したが
大丈夫、ここからでも仁川に行けるから
と夫

とりあえずそのまま明洞へ

韓国では今、このキャラクターパッケージの
ハニーアーモンドが売れていて
日本でも買うことができる

ものすごい種類があり
テーマパークみたいなお店が
明洞だけでもあちこちに建っていた

コスメに興味のない夫にせかされ
明洞の滞在時間はわずか30分

のどが渇いて注文した
アイスコーヒースモールサイズは
どう見てもビッグサイズ(笑)

氷なしで、とわがままオーダーした夫は
この容器の半分もコーヒーが入っていなかった
そりゃそうよね

再び地下鉄に乗り元の場所へ
コインロッカーで荷物を出して・・・

と、ここでもアクシデント!

よくわからずに違う改札でカードを入れたり
駅員さんを呼んだり(基本いない)
使ったカードは数えきれない
(あとで不要になったカードは50円返金される)

駅構内にたこやきのお店発見!

30年前に、韓国にたこ焼きのお店
やったら流行るかもよ
と話したことを思い出す

日本のあたりまえが韓国ではまだ
珍しいものがきっとまだまだあるはず

さて、時刻は16時
なにをするにもどこに行くにも
すんなりとはいかない

あなたはほんとに韓国人ですか!
と幾度となく叫びたくなる(笑)

その叫びはこの後の悲劇でついに爆発する!

気を取り直して私たちは仁川へ向かった
あと少し
ホテルに着いたら荷物を置いて
どこかに食事に出よう
食べたいものを思い切り食べよう、と夫

それにしても長い、こんなに遠いのか仁川は

 

終点仁川に到着したのはすでに19時

改札を出て、ホテルに近いなら
ここからはタクシーで向かおう

と、ホテルを検索したら、え??
ホテルは仁川空港の近くに間違いないのだが
ホテルまで車でなんと40分

40分もタクシーに乗るとなると
結構かかる

道行く人やお店の人
駅員さんに尋ねる

ここは仁川だけどここから
仁川空港へは行かれません

地下鉄だと途中で違う路線に
乗り換えないといけませんでした

じゃあ、バスで戻ろう、と夫

バスって、どっちから乗るバス?
どっちがどっちに行くのさ

ナビだとバスに乗っても1時間半って出る
もうわけがわからない
それに、昨夜のこと思うと
長い時間ナビ開いてWi-Fiのバッテリー
使いたくないし

しっかりしてくれ!
あんた韓国人じゃないんか

 

と、ここでそれまで心に留めてきた
心の声がついに爆発して叫んでしまった

私よりも明らかに韓国語が普通に話せて
だれにでも尋ねることができるあなたが居て
なぜこんなに迷う・・・涙

 

そこから気を取り直して
バスに乗ろうとしたら
現金は使えません、とバスにも乗れなかった

夫はバスのカードを買うため走る!

30分くらいしてバスのカードを二枚
チャージして買ってきたが
駅員さんに聞いたらここまで乗ってきた
地下鉄のカードで元に戻れますよ
とのことらしく

それ、早く知りたかった・・・

あたりはもう真っ暗だった

重い荷物をひこずり地下鉄に再び乗車
乗換駅を絶対に間違えるわけにはいかない
夫はじーーーっと路線図を見ていたが
老眼で見えていないはずだ

老眼鏡も忘れてきて何度も困った

私も人任せにはしていられない

普段は方向音痴だから黙っといて
と言われるけど
もう黙ってはおれない

乗換駅を二人で確認
隣の電車に乗り込む
これで合っているはず

そもそもの失敗は最初に
ソウルで降りなかったことだ
ソウルからだったらこんなに迷うことなく
空港まで行けたのだった

地下鉄(地下を走るばかりではない)
は仁川空港内に入る

空港で降りたら静まり返った空港内は
人もまばらで照明も暗く

一階にケンタッキーのお店だけが
まだ営業しているのが見えた

もう遅い
ケンタッキー一択だ

ケンタッキーを買い
ここからはタクシーに乗り
5分程度でホテルへ

無事に(とは言えないが)到着

この日、私は初めて誰にも気兼ねなく
シャワーを浴びトイレも使い
ぐっすりと眠ることができた
夫のいびきも気にならないくらい

翌朝、5時起床
6時にホテルの前からターミナルへ
送ってくれるバスが出る

7年前の失敗は二度と繰り返さない

7年前、お姉さんたちがキムチを持たせてくれて
それが審査でひっかかり夫とはぐれ
危うく飛行機に乗り遅れそうになった

当時は、一ヵ所のターミナルですべての審査が行われており
世界中へ飛び立つ人々でごった返し
広島行きターミナルへはモノレールで移動
しかも搭乗口は端の端
という過酷なレースだった

今回、それは改善されていて
モノレールに乗る必要もなかった

ただ、韓国へ入国する際や日本へ入国する際
自国民と他国民の扱いなので
審査時同じゲートを通ることはできない

日本から韓国へ向かう飛行機は
8割以上は韓国人と他外国人のようだった

帰りの日本へ向かう飛行機も
やはり8割以上は韓国からの旅行客のようだった
円安の日本へ多くの外国人が
気軽に旅行していることがよくわかった

韓国の観光地では日本人の夫婦と見えるらしく
私だけでなく夫も日本語で話しかけられていた

夫は今回の韓国訪問で
7年前との大きな変化に
明らかに戸惑っていた

何とかなると思ったのに
なんとかならないことが多かった

そして一番の目的
オモニ、お母さんには最後まで
会うことができなかった

結局、二番目のお兄さんから
返信も電話も返ってはこなかった

私も100歳を迎えるお母さんに
日頃の親不孝を詫びたかったし
韓国にいる間だけでも
お母さんの下の世話でもなんでも
するつもりでいた
それも叶わなかった

複雑な思いを乗せて
飛行機は飛び立つ

 

マンションラッシュの不思議な光景が
遠のいてゆく

LCCで来れば飛行機代は
とても安い

わずか1時間50分で到着する

それでも商売をしている以上
たとえ4日間でも二人が空けるとなると
事前に何日も前から配達や発送を調整して

お客さまや取引先に迷惑が
掛からないようにする必要があった

それもこちらの勝手だけれど

今回、わたしたちにはわからない
お母さんをめぐっての兄弟間の感情の渦の中に
巻き込まれた形で
当然と思っていたことが実現できなかった事実があった

あれからちょうどひと月

昨日、オモニの調子がよくないと連絡が入った

 

 

 

 

アボジの墓参り~韓国旅行②

上のお兄さんのマンションに着いたのは
二日目の晩のこと

入院しているというお兄さんが
「大丈夫、そのまま来い。ちゃんと言ってある。」
とは言ったけど、直前になって奥さんに告げるのも
韓国ナムジャ(男子)あるあるだ

一抹の不安を抱えながら
電車とタクシーを乗り継ぎマンションへ
到着するとなんと、お兄さんが出迎えに!

ああ、やっぱり
日本から私たちが来るから
きっと無理やり外泊したに違いない
ひょっとしたら抜け出してきた?
しかも明日は検査とかなんとか言っていたような

部屋に入ると娘夫婦が来ていて
夕飯の支度をしていた

「お母さんがいないから何も用意してなくて
キムチや置いているものばかりでごめんなさい。」

そう言ってあれこれ並べてくれて
これで十分、申し訳ないくらい

お兄さんのお嫁さんは後妻さんで
最初の奥さんは子どもたちが幼いころに
白血病で亡くなった

当時、田舎の山や田畑を全部売っても
助けてくれと連絡があり
広島の日赤病院へ夫は義兄と一緒に訪ねて行き
カルテを取り寄せ医師に見てもらったりした

一日も早く脊髄移植が必要とのさなか
お嫁さんの命は尽きてしまった

昔からとても優しいお姉さんだったと
皆の心に残っている

後妻にきたお姉さんはとても料理上手な人で
私たちが韓国に行くたびにたくさんの料理で
もてなしてくれた

今は夜遅くまで働いているという
会わない7年間で何があったのだろう

私が一番よく食べたのは
韓国海苔、韓国でも高い本物の岩海苔だ

近年、韓国から日本へ需要が高まり
たくさんの海苔を輸出しているが
本当に高価な海苔は国内で消費されるという

娘さんの旦那さんはとても優しい人で
私が知る時代の男性とは違う
積極的に手伝いよく動いていた
ある世代から韓国の家族の在り方が
変化していることを感じた

夜遅くにお嫁さんが仕事から帰ってきた
どうやら聞いていなかったらしく
私たちもだが、入院しているはずの
自分の夫がいることにも驚いたはずだ

疲れた様子のお姉さんの部屋を借りるわけにはいかず
私たちはリビングで寝ることにした

そして、翌朝は早い時間に出発しようと夫がつぶやいた

朝になると、客人をご飯も食べささずに
帰らせるわけにいかないと
朝ご飯を用意してくれていた

 

手前のはお兄さんが自分が川で捕ったという
何かの貝のキムチでこれがとても美味しかった

三日目の朝、お兄さんの車で出発

おそらく大切な用事があったはずのお兄さんだが
田舎まで乗せていってくれるという

その前に、真ん中のお姉さんの家に寄るという

夫の兄弟姉妹は夫を含め全部で6人

長女、次女、三女、長男、次男、三男(夫)の順

これで、次男以外全員に会えたことになる

約二時間半、車に揺られ
9時半、韓国の南に到着
仁川から何か所もめぐりながら
北から南までたどり着いた

後ろに見える岩が有名で
映画の撮影地にもなったのだとか

お姉さんはちょうど近所に出かけており
外で散策しながら待つことに

まず、お姉さんの家の壁の絵に驚く

なんて、楽しそうなんだろう!

あたりを見回すと、特別ではないことに気づく

ちょっと歩いてみよう♪

どのお家も夢があって素敵
私も描いてみたい

そうこうしていたら
真ん中のお姉さんがトラクターで帰ってきた

アイゴ~チョムや~と抱きつくお姉さん

その前に、先に長男に同じように
頭をなでるその様子がとても微笑ましかった
そうか、お姉さんにとっては
長男も同じように可愛い弟なんだ

夫けんちゃんが、数年前に亡くなった
お姉さんの旦那さんの墓参りに行きたいと申し出

山を登るから智子は家で待ちなさいと言われ
おとなしく待つことに

外見は田舎の古い家だが
中はリフォームされ綺麗な空間だった

自分の息子が何日もかかって
完成させたらしい

家の外にはずらりとかめのオンパレード
キムチ、テンジャン(味噌)、コチュジャン(唐辛子みそ)
カンジャン(醤油)他いろいろ

昔は各家庭全て手作りでこうやって保存していた

墓参りからもどり、そろそろお昼
お昼を食べに行こうとなり出かける

車で30分くらい走るとお店がある町に

夫と私のリクエストは《ジャジャンミョン》

連日、辛さとの闘いに胃が疲れていた夫と
再びスンデは免れたい私の意見が一致した

昔から韓国には中国料理の店が多くあり
韓国式中華料理というべきか
日本の中華料理とも違う

韓国では店の前に駐車場なるものは特にない
周りの道路が空いていれば駐車が許される
日本では考えられないけど

鳥の天ぷらと唐揚げの中間
タレをかけて食べる

ジゃジャン麺~これこれ!

昔、韓国で初めて食べた時は
日本にはない味だったから
なんだ、これ?と思ったけど
今はほんと美味しいと思う

カンジャジャジャン
カンジャーはじゃがいものこと
ごろごろのジャガイモと玉ねぎの食感がまたいい

海鮮チャンポン~辛い!

これを注文している人も多かった

お姉さんを送り届けた後
再び進路は北へ
お兄さんの隠れ家たる場所へ案内される

綺麗な山水がいくらでも流れる山の中で
たくさんの羊を飼っていた

初めて田舎へ連れていかれた時
黒い羊が田んぼのあぜ道につながれていたのを思い出す

この羊たちは売ることもあるし
自分の家で食べてしまうこともあるんだ

そこからさらに車で40分
夫が子どものころに暮らした田舎
先祖代々とアボジ(お父さん)が眠るお墓がある

あちこちにタケノコが生えていて
放っておくと全部竹になってしまって大変だと
歩きながら足で蹴とばして折ってゆく

ちょっともったいない気がしたけど
食べきれないよね

 

アボジのお墓にお酒を手向けて

つまみは猪が来るから持って帰ることに
あちこちに掘り返された跡があった
韓国も日本とおなじなんだ

 

自分が死んだらこの辺に
骨を撒いてくれとお兄さん

韓国も日本と同じく
お墓事情が変わりつつあり
先祖代々土葬で行ってきた風習も
終わりを迎える
そうなった後の山の管理が心配な様子だった

墓のある山は売ることはできない

お兄さんは広大な土地に
畑を耕していた
肥料が1袋70円程度で配布されるという

最初に出会った頃は大きな声で
怖い人だと思っていたけど
歳を重ねて身体も壊し
なんだか弱弱しく思えた

再婚した頃から次男と折り合いが悪く
オモニを連れていかれてからは
ろくにオモニにも会えていないらしく

それでも一人で楊家の家系を守ろうと
一生懸命生きてこられたんだろうな
楊一族は中国からこの地にやってきたらしく
とても古い家系図が遺されている

家系を継ぐ資格が男子にしかないのならば
お兄さんの家には男子は後妻さんの連れ子で
本来ならばうちの長男だが日本にいるし
二番目のお兄さんの末っ子が男子だが
この先どうなるのだろう

そんなことを考えていると
日本に居て知らぬ存ぜんは申し訳ない気がしていた

田舎から再びお兄さんの家に戻って泊まる話だったが
お嫁さんに気を使ったのか、予定を変更して
最寄りの駅から急きょ電車に乗ることに

ええ~、また移動ーーー

この辺りは道が整備されていて
道路わきに誰でも縦列駐車できるように
白線がひかれていた

 

マンションの駐車場も
誰が何番とは決まっておらず
空いている場所に駐車する
実に効率の良い考えと思うが
日本人の性質にはそぐわないかも知れない

電車が動くまで見送ってくれたお兄さん
どうかお元気で!

18時過ぎの快速電車に乗り込み
スウォンに着くのは21時過ぎの予定

駅には最初に空港まで迎えに来てくれた
二番目のお姉さんの娘たちが来てくれる予定

そして時間があるのは明日の一日だけ
オモニに会う希望を最後まで持ち続けよう

しかし、このあと思わぬアクシデントが起こる。。。

~長くなったので、つづく~