伝えきれなかったありがとう | ひさみん日和

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瀬戸内の海産物 鞆の浦 けんちゃんのいりこ屋

伝えきれなかったありがとう

最近、お店の商品の紹介よりも
個人的な内容が多くなっている
感じですが・・・

今日は、今までお世話になった
大切なお友達との思い出を綴ります

けんちゃんのいりこ屋でも
看板娘の母を支えてくれて
なくてはならない人でした

突然、本当に突然に
旅立っていかれました

いつも元気いっぱい
パワーとエネルギーに溢れ
私も少しでもそんな風になりたいと
いつも思っていました

そんな素敵な女性、英子さんが
生きておられたことを
知ってもらいたいのです

*・*・*・*・*・*・*・*・

最初の出会いは15年以上前に
まだ、あられの会社をされていた頃

福山物産協会で社長である旦那さんと
同じ開発部会に所属していたことでした

あられの機械の技術を使って
いりこにわさびやチョコをコーティングしたり
何度か試作品を作ってもらいました

どれも商品化にはこぎつけなかったものの
私も若く、よそにはない
オリジナルの商品を生み出したいという
意欲に燃えていました

今も人気の《おじゃこサブレ》も
この頃に生み出したお菓子です

その後、ちりめんやチイチイいかを使った
あられの製造を依頼しました

2013年
私がFacebookを始めて間もないころ

英子さんが言っていた言葉を
今でも覚えています

『井の中の蛙になってはいけない』

「福山という限られた自分の地域
自分の仕事だけを見て
どこにも出ず、何も見ずにいては
発展がないと思うんです。

それで、Facebookを始めて
県外にもたくさんの友達ができ
いろんな業種の人と交流することで
驚くほど世界が広がったんです。」

そのころ、英子さんのFacebookを通じて
友達になった鞆のお肉屋さん

今では親しくさせていただいているけど
そのころはまだ、同じ鞆にいながら
ほとんど接点がなかったわけです

それから、三人で出かけるようになりました

2013年11月

会の名前は、誰がつけたか
《美魔女の会》(笑)

お肉屋の溝田さん行きつけ
植おかさんにて

そのうち鞆のメンバーに
英子さんも加わった

誰がつけたか
《ひさみんの会》

2014年1月

この日、彼女の目の前に座った
当時の鞆中学校の校長先生が
英子さんの高校時代の
しかも陸上部の後輩だと知ったのでした

その校長先生とのご縁で
YouTubeでAKB48の
《恋するフォーチュンクッキー》を
踊ることに🎵

もちろん!練習しました♪

2014年2月

ちょうど鞆のひな祭りでしたね

それからもひさみんの会
何度かやりましたね

とり常にて

先輩、後輩の
先生と英子さん

お二人とももう
お会いすることは叶いません
先生は昨年、大動脈解離で
突然旅立たれました・・・

マツダスタジアムでの物産展で
運転が不慣れな私のために
私と荷物もいっしょに運んでくれた

2014年4月

ICでスピードを緩めず
バーに当たりそうになって
大笑いしたのを今でも覚えています

物産協会の懇親会や忘年会
女性がいなくて出席したくなかったけど

英子さんがいたから
参加することができました

2013年12月

2014年5月

プライベートでも二人でよく
たから屋へ行きましたね

タカラジェンヌ、なんて言いながら

たから屋の大将と

お酒のんだらすぐに顔が真っ赤に

いつも楽しいお酒でしたね

仕事の苦労話、聞いてくれたり
聞かせてもらったり

共感してもらえることが
嬉しかった

鞆の浦が大好きで
鞆の行事にもよく来てくれましたね

7月のお手火を初めて見たとき

すごい、すごい、と
最後までずっとひとりで
見ておられた

ものすごいエネルギーを頂いたと
喜んでいましたね

とても信心深い英子さんには
わかっていたんですね
このお祭りの意味が

2014年7月、お手火が始まる前
今は亡き先生と

お手火の日に我が家で
食事会もしましたね

いつも周りを笑わせてくれた

鞆の浦でテレビに出たこともあった

ひさみんの会はいつしか
鞆のお花見会になり

毎年、静観寺さんで
見事な桜を見ながらの宴会となりました

マッキーバンドの演奏会も恒例となり
参加者も増え、英子さんも
旦那さまと来られるように

2017年4月

2019年4月

家業を廃業されてからは
ひな祭りやGWなど忙しい時期
日曜日などに
いりこ屋を手伝ってくれるようになり

(モンナカムラさんと)

看板娘の母の
サポートをしていただいた

いつも笑顔いっぱい大きな声で
お客さんや近所の方からも親しまれ
母は《元気印の前田さん》と
一日に何十回も褒めていました

(鞆だち、美恵ちゃんと)

春・・・
店に行く前に一緒にお花見
住職がお茶をたててくださって

桜の花に見とれる英子さん

景色や花だけでなく
この世に存在するあらゆるものに
感動する心を持った方でした

ご自分の仕事のお客さんに
いつもいりこをつかってくれた

うちまでよく買いに来てくれました

時に、ふざけたりして

とにかく一緒にいると
楽しかった

けんちゃんのいりこ屋のこと
お友達にも宣伝してくださったんですね

葬儀の時に何人ものお友達が
いりこ屋さん!って
声をかけてくれましたよ

今年はコロナで中止だったけど
昨年の鞆の花火大会では

お店を手伝ってくれた後に

支所の屋上で
目の前で上がる花火を見ましたね

普段は花火なんて見ない
という母も
英子さんもいるなら行くと
ついて来ました

嬉しかった
楽しかった
母も私も・・・

今年の春
市議会議員の選挙では
義兄のウグイスで選挙カーに
乗ってくれましたね

2020年3月 出陣式にて母と

初めての経験で最高齢でもあり
とても疲れたのではないかと思います

それでも、「とてもいい経験ができました、」
と、前向きな姿勢に頭が下がる思いでした

なんにでもチャレンジする英子さんは
いつも輝いて見えました

福山のミュージカルにも挑戦
途中、苦悩しながらも
最後までやり遂げた姿に感動しました

ばら祭りの笑顔コンテストでは
みごと、優勝されましたね!

今年4月からはコロナの影響で
お店も休業
6月中旬から再開はしたものの
まともに開けられる状態ではなく

母も休業がきっかけで
お店に出ることが難しくなり
もう二度と店に立つことはできないと
思っていましたが・・

およそ半年ぶりに

英子さんが来られることを知り
母も奮起!

三人が店に揃う貴重な写真
たまたま来ていた姪っ子が撮影

この日、店に来た英子さんは

なんだか、こんなチグハグな
格好になりましたが
コロナを吹き飛ばす意味でも
派手な方が良いかも!

と、ワハハと大声で笑っていました

カープ大ファンの英子さん
真っ赤なカープのマスクが素敵でした

私のスマホのアルバムに残る
これが英子さんの最後の写真です

まさか、これが最後になるとは
思ってもみませんでした

先月、石鎚山に登る前に
登山が趣味の英子さんに
いろいろとアドバイスをもらい

大丈夫大丈夫という夫の意見より
英子さんの言うことを信じて
防寒着を持って行き大正解でした

出発した朝も
楽しんできてくださいネ
とラインをくださった

仕事を休めるなら
自分が一緒に登ってあげたいです
と心配してくれて

登頂したことを伝えると
自分のことのように
喜んでくれた

そのことを
葬儀で会った英子さんの
登山の会のお友達が
話してくれましたよ

私が石鎚山へ登ったこと
お友達も一緒に喜んでくださいました
みんな優しくて素晴らしい方ですね

私のアルバムの中の英子さんは
どれも笑っている顔ばかり
記憶の中の英子さんも
笑っている顔ばかりです

大きな声で、豪快に笑う
その声が今でも
耳元で聞こえるようです

たくさんの苦労をされて
時に愚痴りたくなるような時も
必ず自分でその意味を見出そうとしていた

愚痴の言いっぱなしはなく
他人のせいではなく
必ず自分自身に反省や思いの転換をし
前を向く、そんな

そんな英子さんが大好きでした

 

英子さん

わたしはとにかく
寂しくて寂しくて
しかたありません

だけど
眠るようにきれいな顔の
英子さんを見たとき

あぁ、後悔のない生き方をされたのかな
廃業されたとき
「スッキリしました!」と前を向いた
あの時の表情を思い出しました

悲しむ私を見たら
きっと心配されるだろうから

笑って前を向きます

英子さんのように

今まで本当にありがとう
ありがとうございました

また、逢う日まで
必ず、逢う日まで

 

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Profile

けんちゃんのいりこ屋店長・ひさみん(久光智子)
けんちゃんのいりこ屋店長・ひさみん(久光智子)

鞆の浦でいりこ屋を営んでいます。趣味は描く、綴る、歌う。特技は有り合わせで思い付き料理を作ること。
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