がらんどうの部屋

母が亡くなり早いもので
半年が経ちました

亡くなって一週間後に義兄の
市議会議員選挙の出陣式があり
そこから4月初旬まで選挙で走り続け

終わったと思ったら
母の手続きやら仕事も忙しくなり
中元の繁忙期も経て
今やっと落ち着きつつあります

中元の発送と同時進行で
母の住まいも片づけました

私一人では到底無理で
姉と二人で何日もかかって
最後は夫が大きいものを全て
運び出してくれました

2021年に市営住宅の5階から
1階へみんなで荷物を運び引っ越し
あれから3年あまりでまさか
母が居なくなってしまうとは
思ってもみませんでした

思えば、あの引っ越しから
母はなにか具合が悪くなったのでした

今更ですが・・・高齢者にとっての引っ越しが
どれほど心の負担になるのか
思い知らされた気がしています

姉と荷物を整理する中で出てきた思い出の数々を
ここに残しておきたいと思います

3年前の引っ越し時にたくさん
処分した母ですが
捨てられなかったものは
母にとってよほど大切なものだったようです

私たちが子どものころ
遊んだブロック

孫ひ孫も母の家に行くと
これで遊んでいた

姉か私が使っていたと思われる
昔の色鉛筆

アルバムには貼っていない
家族写真がたくさん
小学生低学年頃の私

小学生高学年の私
珍しく父とのツーショット

父が生前、おそらく
亡くなる前に書いたと思われる
家の新築計画

 

父の履歴書や賞状の数々

全てにおいて優秀だった父は
母にとってきっと
自慢の夫だったのでしょう
何かにつけ、お父さんは・・と
よく話していた

 

旅行の思い出に買い集めたのか
こけしや置物多数

左の人形は姉と私それぞれ
家に持ち帰るよう何度も言われていたので
処分せず持ち帰ることに

昔々、母が着ていた水着
家族で海水浴へ行くと
必ずこれを着ていた
これは姪っ子が持ち帰り

母のお母さんが縫ったと思われる
大正時代の夏用の着物

母は着物をたくさん作っていたので
昭和の新しいものは私と姉、孫たちで分けて
古いものは古い着物を扱っている
知人に引き取ってもらった

子どものころ使っていた
思い出のある食器は
姉と分けたり寄付へ

カレーライスというとこのお皿だった

押し寿司を作ってくれた

私が子供のころ使っていた
トッポジージョのスプーン

母は編み物が趣味だったので
むか~しの編み物の本

そして、編みかけのセーターかな

ここ数年は思うように編めなくなり
だれか続きを編んでくれんかね
とも言っていた

昔は服も縫ってくれていた

足踏み式ミシン

鞆の方が引き取ってくださった

母のおばあちゃんの時代の鏡台
思い出がたくさんあるけど処分

出かける時に母がつけていた
SEIKOのゼンマイ仕掛けの古い時計

どんな古い時計も直してくれる
時計屋さんで(小田時計店さん)

部品を分解、全て洗浄してもらい
みごとに復活!

ベルトを交換し私の腕で
再び時を刻むことに

母の服で欲しいものは
それぞれが持ち帰ったものの
大半は処分となり

ここ数年、我が家で暮らす中で着ていたものは
余計に思い出が深く

悲しくなりすぎるので
全て処分することに

 

子どものころ
イベントを大事にする家族で
誰かの誕生日のたびに
誕生日会を家で行っていた

そのプログラムや
父や母に贈った手紙もすべて
とってあった
ほんとにたくさん

そして、父が亡くなり
母と姉と3人暮らしになり
始めた交換日記

毎日ではないけれど
それぞれの出来事や思いを綴ったり
喧嘩した翌日は謝ったり

いつしかやらなくなってしまったのだけど

ひとりになった母が時折
取り出しては読み返し
ひとりで綴ったページに
胸が締め付けられる

 

昭和61年9月14日

今日、整理していたらこんな懐かしい貴重な過去の生活を知ることができ、涙が出てどうしようもありませんでした。まだ幼さの残っているような二人の学生時代を思い出し、姉妹けんかをしては母さんを困らせたのだとつくづく思いだしました。この9年間、平凡なようでありながらも大変だったと思いました。進学、卒業、就職、結婚・・それぞれの道を歩み、結局、母さんはひとりぼっちになったのだと・・・これが人生ですネ。前進もあり、つまづきもあり、思い出してなぜかしら涙が出て懐かしくてたまりませんでした。あの日々をもう一度返して欲しい・・・
母さんは駄目ですね、こんな過去にすがっていては自分の幸せ見つけることできないものね。

 

平成5年3月29日

ふと懐かしくなって三人の過去の交換日記を読みました。昨日の出来事のようにあれもこれも思い出して胸が締め付けられるように、言い知れぬ淋しさで涙が出てしようがありませんでした。
二人とも妻となり母となり私も孫が六人になり、人生変わってきたけどでも変わっていないのはいつまでも私の子であり私が母さんであるということ。
今年で60歳になります。長いようで短い17年でした。

 

平成28年10月25日

月日が経つのもいつの間にか忘れ、娘たちの世話になること、嬉しいような淋しさを感じる今日この頃。一生懸命という言葉をふと忘れがちの日々、しっかりしなければと自分を心から戒めて何とも言い知れない淋しさを感じる毎日。お父さんに先立たれ、私なりに・・・と頑張りそのうらはらにとっても弱い自分を反省するばかり。4人のひ孫を目の当たりに接し、遠い雲を見ているような・・・・

 

思い出したように三度書かれた日記
母の心の淋しさが少しわかる

でも母はいつも言っていた

自分がその歳にならないとわからないことがいっぱいある、と

私もその歳にならないとわからないことがきっとたくさんあるのだろうな

母が居なくなって、母も一人の女性であり
一人の妻であり、母であったこと
強くも弱くて
明るくて寂しい人であったと

お母さんありがとう
今までありがとう

日記の最後に今度は私が綴りました

当時は交換日記も私はふざけてばかりだった
読み返すと恥ずかしい
今ならちゃんと伝えられる

 

令和6年7月1日

広島から福山へ越してきてから
20年間、お店を手伝ってくれてありがとう
最後まで私たちのそばにいてくれてありがとう
7人の孫と4人のひ孫を可愛がってくれてありがとう
いっぱいいっぱいありがとう

お母さんがいなくなって
とても淋しいよ
会いたい お母さん

お母さん

住宅を引き払う日
何にもなくなって
がらんどうになった部屋にいると
涙が出て止まらなくなった

母が亡くなって今まで
私は泣かなかった
泣く暇もなかったし
向き合うのが怖かったのかもしれない

この日初めて母が居なくなった淋しが
胸にこみあげてきた

キッチンの窓からは
我が家が見える
母はここからよくうちを見ていた

花が好きでベランダに
プランターを置いて花を育てていた

空は青く澄み渡り
沢山の雲が勢いよく
空に昇っていくのが見えた

初盆にとたくさんの
お花やお供えが届き

母のことを忘れずに
覚えてくれていることが
何よりも嬉しくありがたい

私もそんな母のような人に
なれるだろうか

いい色じゃね、と
冬に着てくれていた
カーディガンは
寝たきりになった時からずっとここ
ベッドの頭の上に掛けていた

今はここに仏壇を置いたよ
これだけはなんだかね
下ろせないでいる

 

目的果たせない旅~韓国旅行③

快速列車に揺られ水原駅に着いたのは
すでに21時を過ぎていた

駅に降り、カカオトークで
迎えに来ているはずの姪っ子に連絡を入れる夫

カカオトークとは、日本でいうLINEのようなツールで
韓国の国民の9割以上の人が使用している

韓国のその会社から
日本向けにできた子会社がLINEだ

迎えに来ているはずなのに返事がない
カカオ電話をかけても繋がらない

おかしい・・・

なんと、困ったことに
夫と私のスマホで使用していた
海外で使えるWi-Fiのバッテリーが切れていた!

そこで、データ通信をオンにしてみたがダメ

日本ではWi-Fiなくてもデータ通信ができるが
韓国ではできなかった

すぐに充電をしようとしたら
なんと!充電器のバッテリーも切れていた

よりによってこんなことってある!?

昨夜はお兄さんの家で充電させてもらっていたのに
やがて私のスマホも切れる寸前だ!

駅の公衆電話を見つけてお金を入れ
姪っ子の携帯番号に電話をかけるも
まったく繋がらない

なんなら他の兄弟にもかけてみたが
コールはしても誰にもつながらないのだ

夫はいまや浦島太郎なので
公衆電話のかけ方さえもわからないのか?

どんどんお金は落ちてゆき
一度も繋がらないのにお金は戻らない

なんで?

すでに到着してから30分以上経過している

姪っ子も心配しているだろうから
駅の周りをぐるっと見てきたら?

私を残して外に出て行った夫
しばらくして戻ってきた夫が言うに
外は真っ暗だし、どこが車の送迎場かもわからない
思いのほか水原駅は大きい

すでに1時間以上経過していた

飲み物も持たず列車に飛び乗り
のども乾いたしお腹もすいた

自販機を見つけ飲み物を買おうとしたら
現金は使用不可だった

あ~、わたしたち
なにか悪いことしたかなあ
ただ、オモニに会いたくて来ただけなのに
オモニにも会えず行ったり来たり
おまけに行く先々で誰かの世話にならないと
自分たちで動けないなんてなんとも情けない

と、そこで
夫が駅構内の警察出張所を見つけ駆け込んだ

これこれわけを話して
まず、Wi-Fiに充電させてもらう
それからスマホも

海外Wi-Fiがこんなにも大切だなんて
私は日本にいる感覚と同じだろうと
全く甘く見ていた

夫に至っては、私に全て任せきりで
日頃から《大丈夫大丈夫なんとでもなる》の人だ

私たちだけならそれでもいい
いくら親戚でも周りを巻き込んではダメだ

充電が少しできた時点で
カカオ電話がつながった!

オディイッソ!!(どこにいる)

姪っ子の少しむっとした声が聞こえた

姪っ子は1時間ほど駅前で待ったものの
連絡もつかずどうしようもなく
1時間半の道のりを再び帰路へ
半分帰ったところだった

あまりにも申し訳ないので
今夜はこのまま
駅の近くのホテルを探しても良かったのだが
姪っ子は迎えに来てくれた

姉妹で来てくれており
最初の晩に泊めてくれたのは次女で
今夜は長女の家に泊めてくれるという

マンションに着いたのはすでに
夜中の12時を回っていた

にもかかわらず
旦那さんと息子が笑顔で出迎えて
二人で荷物を運んでくれた

今夜は旦那さんの部屋を使ってください
とのこと

若い人が起きているうちに
Wi-Fiとスマホと充電器
この三つの命綱というべき機器を
充電させてもらった

7年前はコンセントも不便はなかったが
今回はどこの家庭も日本で使用するタイプの
コンセントでは使用できなかった

姪っ子がお腹空いたでしょう、と
サンドイッチやシュークリームを
出してくれた

お腹は空いていたけど
疲労と時間が遅すぎて
あまり食べる気にはなれなかった

疲れているはずなのに夫は良くしゃべり
旦那さんと息子もニコニコ話に
付き合ってくれていた

私は皆が寝てから
シャワーをさせてもらおうと思っていた

韓国ではほとんどの家が
シャワーとトイレが一体だ
日本のビジネスホテルのように

そして韓国では寝る前にシャワーはしない
朝起きた時にシャワーを浴びる
これは国民性で夫けんちゃんもそうだ

一方私は日頃から
どんなに疲れていても眠くても
お風呂に入るかシャワーをしないと
寝床に入ることができない

明日は自分たちで動けるから大丈夫
ただ、最終日帰国する日は
朝6時には空港へ行っておかないといけない
空港の近くのホテルを予約してもらえる?

これだけはお願いして息子が検索して
姪っ子がネット予約を入れてくれた

時計を見ると夜中の2時!

翌朝も旦那さんも姪っ子も仕事
もう寝ましょうと声をかけようやくお開きに

旦那さんの部屋は何もなかった
本が数冊棚に置いてあるだけで
本当になにもなかった

とても穏やかで優しそうな人
マッチングアプリで知り合い結婚したのだとか
韓国では日本以上にそんな出会いが成立しているという

姪っ子が言うには
睡眠が一番大事という考えから
夜はゆっくり眠れるよう
夫婦でも親子でも部屋は別々なのだそう

そういえば
今まで訪問した家庭も全てそうだった

 

韓国滞在4日目の朝

旦那さんと息子さんがいつの間にか起きて
静かに支度をして仕事に出て行った
朝食はとらないらしい

姪っ子も仕事に行くというのに
朝ご飯を作ってくれた

タコの刺身に魚を焼いたもの
胡桃を甘く絡めたものが美味しかった

朝食を終え、バス乗り場まで
歩いて送ってくれることに

最近のマンションの入り口には
こんなゲートが設置されていて
住人以外は入れないシステムなのか?

敷地内にはいくつもの
マンションが建ち並んでいて
駐車場入り口には守衛さんもいた

姪っ子の後ろ姿を見ると
うちの長女の背中にそっくりだった

長女は夫の背中に似ているから
やはり家系なんだな
こんな離れた土地に娘たちの従姉妹がいる
ちょっと感動してしまった

姪っ子たちは二番めのお姉さんの娘で
コロナ禍、お父さんに会うこと叶わず亡くなり
普通の葬儀をすることすらできなかった
今でも心残りと泣いていた

バス停でバスを待つ間
電動のキックボードがあちこちに
見受けられた

これはシェアキックボードで
QRコードにスマホをかざして
好きな場所まで使用できるらしい

現在は国内免許か国際免許がないと
使用できないよう規制されたらしい

バスに揺られ到着したのは
昨夜、大変だった水原駅

夫が昨日の警察官の皆さんにお礼を
とくるみ饅頭を購入して届けた

ソウルを中心に地下鉄が張り巡らされていて
どこまでも行ける
が、下りる場所、乗り換え地点を
間違えないようにしなければならない

最後までオモニ(お母さん)に
会う希望は残しつつ
日本を出発前にテレビで放送していた
クァンジャン市場に向かうことに

テレビでは韓国最大級、と言っていたが
韓国の人に聞いても知らない人が多かった
隣が有名な東大門市場だからか

大きいスーツケースとバッグをいくつも
持ち歩くのはしんどい

ソウル駅でまず荷物をロッカーに預けよう
という私の意見に対して
夫はこのまま乗っていたら市場まで行けるから
そうしようと意見を押し通した

ちょっと嫌な予感がした

最寄りの駅で降りてそこのコインロッカーに
スーツケースなど大きな荷物を預けた

韓国へ来て初めて
身軽になった気がした

市場は活気にあふれている

ごちゃごちゃ、という言葉がふさわしい

チヂミが何枚も積み上げられている
通常は焼くわけだけど
大量に作るためか油で揚げていた

日本のたこ焼きが
揚げたこ焼きになった感じだろうか

海鮮も豊富

魚の干物
チゲにすると美味しい

ユッケのお店
次女がいたら喜ぶだろうな

キンパ

通常のキンパは姿を消し
どのお店も数年前から流行った
ミニサイズの《麻薬キンパ》だった

早速、空いている屋台に腰掛けて
キンパをいただく
麻薬キンパの特徴のひとつ
からしだれにつけながら食べる

夫はここでもスンデを注文

よほど好きなんだね

豚の耳を切ったもの

マンドゥ

チャプチェ
混ぜてないんだ
注文を受けてから炒めるのかな

こちらも豚のなにか

海鮮チヂミ、美味しかった

韓国のたいやき
ハングル文字で
シュークリームと書かれてある

韓国ではカスタードクリームのことを
シュークリームと呼ぶのか?不明

写真はないが、入り口付近に
若い子を中心に行列になっているお店があり
日本で言うねじりパンに
シナモンシュガーをかけたようなものだった

鞆の浦の今はなき村上パンで
揚げたてのねじりパンがとても美味しかった
思い出しながら並ぶ気にはなれなかった

それとあちこちで何軒も見たお店がこれ

生のフルーツジュースのお店

予めこの容器にいちごやパイナップルなど
フルーツがぎっしり入っていて
お客が自分で選びミキサーにかけてもらう

これは普通にとても美味しかった

通りを横にそれると
お魚横丁みたいな魚料理ばかりの路地があり

いろんな種類の魚を表で焼いていた

夫はこの通りをえらく気に入り感動していた

そこからさらに奥へ歩くと
手芸品や古本屋さんが並んでいた
夫は重いのに本を何冊か買った

昔のアンアンなど日本の雑誌も売られていた

本屋の次は園芸屋さんで
韓国でも多肉が人気のようだった

市場は古いものも残しつつ
常に流行りの食べ物を取り入れ
素早く売れるものに変えてゆく
昔、私が見て驚いた韓国の
商売魂を再び見た気がした

そうこうしているとあっという間に15時
夕方には仁川のホテルに到着したい

娘たちから頼まれたマスク(顔のパック)を
買いたくて明洞行きを希望

地下鉄で15分ほどで着く

ここまで戻ってこなくて済むよう
荷物をもって移動しようと提案したが
大丈夫、ここからでも仁川に行けるから
と夫

とりあえずそのまま明洞へ

韓国では今、このキャラクターパッケージの
ハニーアーモンドが売れていて
日本でも買うことができる

ものすごい種類があり
テーマパークみたいなお店が
明洞だけでもあちこちに建っていた

コスメに興味のない夫にせかされ
明洞の滞在時間はわずか30分

のどが渇いて注文した
アイスコーヒースモールサイズは
どう見てもビッグサイズ(笑)

氷なしで、とわがままオーダーした夫は
この容器の半分もコーヒーが入っていなかった
そりゃそうよね

再び地下鉄に乗り元の場所へ
コインロッカーで荷物を出して・・・

と、ここでもアクシデント!

よくわからずに違う改札でカードを入れたり
駅員さんを呼んだり(基本いない)
使ったカードは数えきれない
(あとで不要になったカードは50円返金される)

駅構内にたこやきのお店発見!

30年前に、韓国にたこ焼きのお店
やったら流行るかもよ
と話したことを思い出す

日本のあたりまえが韓国ではまだ
珍しいものがきっとまだまだあるはず

さて、時刻は16時
なにをするにもどこに行くにも
すんなりとはいかない

あなたはほんとに韓国人ですか!
と幾度となく叫びたくなる(笑)

その叫びはこの後の悲劇でついに爆発する!

気を取り直して私たちは仁川へ向かった
あと少し
ホテルに着いたら荷物を置いて
どこかに食事に出よう
食べたいものを思い切り食べよう、と夫

それにしても長い、こんなに遠いのか仁川は

 

終点仁川に到着したのはすでに19時

改札を出て、ホテルに近いなら
ここからはタクシーで向かおう

と、ホテルを検索したら、え??
ホテルは仁川空港の近くに間違いないのだが
ホテルまで車でなんと40分

40分もタクシーに乗るとなると
結構かかる

道行く人やお店の人
駅員さんに尋ねる

ここは仁川だけどここから
仁川空港へは行かれません

地下鉄だと途中で違う路線に
乗り換えないといけませんでした

じゃあ、バスで戻ろう、と夫

バスって、どっちから乗るバス?
どっちがどっちに行くのさ

ナビだとバスに乗っても1時間半って出る
もうわけがわからない
それに、昨夜のこと思うと
長い時間ナビ開いてWi-Fiのバッテリー
使いたくないし

しっかりしてくれ!
あんた韓国人じゃないんか

 

と、ここでそれまで心に留めてきた
心の声がついに爆発して叫んでしまった

私よりも明らかに韓国語が普通に話せて
だれにでも尋ねることができるあなたが居て
なぜこんなに迷う・・・涙

 

そこから気を取り直して
バスに乗ろうとしたら
現金は使えません、とバスにも乗れなかった

夫はバスのカードを買うため走る!

30分くらいしてバスのカードを二枚
チャージして買ってきたが
駅員さんに聞いたらここまで乗ってきた
地下鉄のカードで元に戻れますよ
とのことらしく

それ、早く知りたかった・・・

あたりはもう真っ暗だった

重い荷物をひこずり地下鉄に再び乗車
乗換駅を絶対に間違えるわけにはいかない
夫はじーーーっと路線図を見ていたが
老眼で見えていないはずだ

老眼鏡も忘れてきて何度も困った

私も人任せにはしていられない

普段は方向音痴だから黙っといて
と言われるけど
もう黙ってはおれない

乗換駅を二人で確認
隣の電車に乗り込む
これで合っているはず

そもそもの失敗は最初に
ソウルで降りなかったことだ
ソウルからだったらこんなに迷うことなく
空港まで行けたのだった

地下鉄(地下を走るばかりではない)
は仁川空港内に入る

空港で降りたら静まり返った空港内は
人もまばらで照明も暗く

一階にケンタッキーのお店だけが
まだ営業しているのが見えた

もう遅い
ケンタッキー一択だ

ケンタッキーを買い
ここからはタクシーに乗り
5分程度でホテルへ

無事に(とは言えないが)到着

この日、私は初めて誰にも気兼ねなく
シャワーを浴びトイレも使い
ぐっすりと眠ることができた
夫のいびきも気にならないくらい

翌朝、5時起床
6時にホテルの前からターミナルへ
送ってくれるバスが出る

7年前の失敗は二度と繰り返さない

7年前、お姉さんたちがキムチを持たせてくれて
それが審査でひっかかり夫とはぐれ
危うく飛行機に乗り遅れそうになった

当時は、一ヵ所のターミナルですべての審査が行われており
世界中へ飛び立つ人々でごった返し
広島行きターミナルへはモノレールで移動
しかも搭乗口は端の端
という過酷なレースだった

今回、それは改善されていて
モノレールに乗る必要もなかった

ただ、韓国へ入国する際や日本へ入国する際
自国民と他国民の扱いなので
審査時同じゲートを通ることはできない

日本から韓国へ向かう飛行機は
8割以上は韓国人と他外国人のようだった

帰りの日本へ向かう飛行機も
やはり8割以上は韓国からの旅行客のようだった
円安の日本へ多くの外国人が
気軽に旅行していることがよくわかった

韓国の観光地では日本人の夫婦と見えるらしく
私だけでなく夫も日本語で話しかけられていた

夫は今回の韓国訪問で
7年前との大きな変化に
明らかに戸惑っていた

何とかなると思ったのに
なんとかならないことが多かった

そして一番の目的
オモニ、お母さんには最後まで
会うことができなかった

結局、二番目のお兄さんから
返信も電話も返ってはこなかった

私も100歳を迎えるお母さんに
日頃の親不孝を詫びたかったし
韓国にいる間だけでも
お母さんの下の世話でもなんでも
するつもりでいた
それも叶わなかった

複雑な思いを乗せて
飛行機は飛び立つ

 

マンションラッシュの不思議な光景が
遠のいてゆく

LCCで来れば飛行機代は
とても安い

わずか1時間50分で到着する

それでも商売をしている以上
たとえ4日間でも二人が空けるとなると
事前に何日も前から配達や発送を調整して

お客さまや取引先に迷惑が
掛からないようにする必要があった

それもこちらの勝手だけれど

今回、わたしたちにはわからない
お母さんをめぐっての兄弟間の感情の渦の中に
巻き込まれた形で
当然と思っていたことが実現できなかった事実があった

あれからちょうどひと月

昨日、オモニの調子がよくないと連絡が入った

 

 

 

 

アボジの墓参り~韓国旅行②

上のお兄さんのマンションに着いたのは
二日目の晩のこと

入院しているというお兄さんが
「大丈夫、そのまま来い。ちゃんと言ってある。」
とは言ったけど、直前になって奥さんに告げるのも
韓国ナムジャ(男子)あるあるだ

一抹の不安を抱えながら
電車とタクシーを乗り継ぎマンションへ
到着するとなんと、お兄さんが出迎えに!

ああ、やっぱり
日本から私たちが来るから
きっと無理やり外泊したに違いない
ひょっとしたら抜け出してきた?
しかも明日は検査とかなんとか言っていたような

部屋に入ると娘夫婦が来ていて
夕飯の支度をしていた

「お母さんがいないから何も用意してなくて
キムチや置いているものばかりでごめんなさい。」

そう言ってあれこれ並べてくれて
これで十分、申し訳ないくらい

お兄さんのお嫁さんは後妻さんで
最初の奥さんは子どもたちが幼いころに
白血病で亡くなった

当時、田舎の山や田畑を全部売っても
助けてくれと連絡があり
広島の日赤病院へ夫は義兄と一緒に訪ねて行き
カルテを取り寄せ医師に見てもらったりした

一日も早く脊髄移植が必要とのさなか
お嫁さんの命は尽きてしまった

昔からとても優しいお姉さんだったと
皆の心に残っている

後妻にきたお姉さんはとても料理上手な人で
私たちが韓国に行くたびにたくさんの料理で
もてなしてくれた

今は夜遅くまで働いているという
会わない7年間で何があったのだろう

私が一番よく食べたのは
韓国海苔、韓国でも高い本物の岩海苔だ

近年、韓国から日本へ需要が高まり
たくさんの海苔を輸出しているが
本当に高価な海苔は国内で消費されるという

娘さんの旦那さんはとても優しい人で
私が知る時代の男性とは違う
積極的に手伝いよく動いていた
ある世代から韓国の家族の在り方が
変化していることを感じた

夜遅くにお嫁さんが仕事から帰ってきた
どうやら聞いていなかったらしく
私たちもだが、入院しているはずの
自分の夫がいることにも驚いたはずだ

疲れた様子のお姉さんの部屋を借りるわけにはいかず
私たちはリビングで寝ることにした

そして、翌朝は早い時間に出発しようと夫がつぶやいた

朝になると、客人をご飯も食べささずに
帰らせるわけにいかないと
朝ご飯を用意してくれていた

 

手前のはお兄さんが自分が川で捕ったという
何かの貝のキムチでこれがとても美味しかった

三日目の朝、お兄さんの車で出発

おそらく大切な用事があったはずのお兄さんだが
田舎まで乗せていってくれるという

その前に、真ん中のお姉さんの家に寄るという

夫の兄弟姉妹は夫を含め全部で6人

長女、次女、三女、長男、次男、三男(夫)の順

これで、次男以外全員に会えたことになる

約二時間半、車に揺られ
9時半、韓国の南に到着
仁川から何か所もめぐりながら
北から南までたどり着いた

後ろに見える岩が有名で
映画の撮影地にもなったのだとか

お姉さんはちょうど近所に出かけており
外で散策しながら待つことに

まず、お姉さんの家の壁の絵に驚く

なんて、楽しそうなんだろう!

あたりを見回すと、特別ではないことに気づく

ちょっと歩いてみよう♪

どのお家も夢があって素敵
私も描いてみたい

そうこうしていたら
真ん中のお姉さんがトラクターで帰ってきた

アイゴ~チョムや~と抱きつくお姉さん

その前に、先に長男に同じように
頭をなでるその様子がとても微笑ましかった
そうか、お姉さんにとっては
長男も同じように可愛い弟なんだ

夫けんちゃんが、数年前に亡くなった
お姉さんの旦那さんの墓参りに行きたいと申し出

山を登るから智子は家で待ちなさいと言われ
おとなしく待つことに

外見は田舎の古い家だが
中はリフォームされ綺麗な空間だった

自分の息子が何日もかかって
完成させたらしい

家の外にはずらりとかめのオンパレード
キムチ、テンジャン(味噌)、コチュジャン(唐辛子みそ)
カンジャン(醤油)他いろいろ

昔は各家庭全て手作りでこうやって保存していた

墓参りからもどり、そろそろお昼
お昼を食べに行こうとなり出かける

車で30分くらい走るとお店がある町に

夫と私のリクエストは《ジャジャンミョン》

連日、辛さとの闘いに胃が疲れていた夫と
再びスンデは免れたい私の意見が一致した

昔から韓国には中国料理の店が多くあり
韓国式中華料理というべきか
日本の中華料理とも違う

韓国では店の前に駐車場なるものは特にない
周りの道路が空いていれば駐車が許される
日本では考えられないけど

鳥の天ぷらと唐揚げの中間
タレをかけて食べる

ジゃジャン麺~これこれ!

昔、韓国で初めて食べた時は
日本にはない味だったから
なんだ、これ?と思ったけど
今はほんと美味しいと思う

カンジャジャジャン
カンジャーはじゃがいものこと
ごろごろのジャガイモと玉ねぎの食感がまたいい

海鮮チャンポン~辛い!

これを注文している人も多かった

お姉さんを送り届けた後
再び進路は北へ
お兄さんの隠れ家たる場所へ案内される

綺麗な山水がいくらでも流れる山の中で
たくさんの羊を飼っていた

初めて田舎へ連れていかれた時
黒い羊が田んぼのあぜ道につながれていたのを思い出す

この羊たちは売ることもあるし
自分の家で食べてしまうこともあるんだ

そこからさらに車で40分
夫が子どものころに暮らした田舎
先祖代々とアボジ(お父さん)が眠るお墓がある

あちこちにタケノコが生えていて
放っておくと全部竹になってしまって大変だと
歩きながら足で蹴とばして折ってゆく

ちょっともったいない気がしたけど
食べきれないよね

 

アボジのお墓にお酒を手向けて

つまみは猪が来るから持って帰ることに
あちこちに掘り返された跡があった
韓国も日本とおなじなんだ

 

自分が死んだらこの辺に
骨を撒いてくれとお兄さん

韓国も日本と同じく
お墓事情が変わりつつあり
先祖代々土葬で行ってきた風習も
終わりを迎える
そうなった後の山の管理が心配な様子だった

墓のある山は売ることはできない

お兄さんは広大な土地に
畑を耕していた
肥料が1袋70円程度で配布されるという

最初に出会った頃は大きな声で
怖い人だと思っていたけど
歳を重ねて身体も壊し
なんだか弱弱しく思えた

再婚した頃から次男と折り合いが悪く
オモニを連れていかれてからは
ろくにオモニにも会えていないらしく

それでも一人で楊家の家系を守ろうと
一生懸命生きてこられたんだろうな
楊一族は中国からこの地にやってきたらしく
とても古い家系図が遺されている

家系を継ぐ資格が男子にしかないのならば
お兄さんの家には男子は後妻さんの連れ子で
本来ならばうちの長男だが日本にいるし
二番目のお兄さんの末っ子が男子だが
この先どうなるのだろう

そんなことを考えていると
日本に居て知らぬ存ぜんは申し訳ない気がしていた

田舎から再びお兄さんの家に戻って泊まる話だったが
お嫁さんに気を使ったのか、予定を変更して
最寄りの駅から急きょ電車に乗ることに

ええ~、また移動ーーー

この辺りは道が整備されていて
道路わきに誰でも縦列駐車できるように
白線がひかれていた

 

マンションの駐車場も
誰が何番とは決まっておらず
空いている場所に駐車する
実に効率の良い考えと思うが
日本人の性質にはそぐわないかも知れない

電車が動くまで見送ってくれたお兄さん
どうかお元気で!

18時過ぎの快速電車に乗り込み
スウォンに着くのは21時過ぎの予定

駅には最初に空港まで迎えに来てくれた
二番目のお姉さんの娘たちが来てくれる予定

そして時間があるのは明日の一日だけ
オモニに会う希望を最後まで持ち続けよう

しかし、このあと思わぬアクシデントが起こる。。。

~長くなったので、つづく~

 

 

オモニに会いに~韓国旅行①

ゴールデンウィークの最終日
夫と二人で7年ぶりの韓国へ

目的は100歳を迎える夫のお母さん(オモニ)に会うこと

仁川(インチョン)行きの飛行機は
広島空港から

 

 

 

飛行機は格安のチェジュ航空

7年前に準備不足で機内持ち込み手荷物に
化粧品など水物を入れていて手間取ったため
今回はそのあたりは抜かりなく

出発を待つ間、夕方の便で少々お腹が空いたものの
出発ロビーで販売している食品の値段の高さに驚く!

カップヌードルが1個500円!

出る間際まで仕事に追われ
何も食べず何も持たずに来てしまった

機内食は希望者のみが購入
余計な経費を省きその分安い
それがLCCの特徴でもある

行ってきます!と家族にLINE

万が一二人に何かあると後のことが大変なので
保険のことやらいちおう娘たちに話してきた

この日は生憎の雨模様だったけど
飛行機が雲の上に出ると

 

 

光が射していた

町々が遠くなり雲の上をひたすらすすむ

この景色がこの静寂がすきだ

他の国には行ったことはないけど
韓国へはもう何度も往復してきた

仁川へは夕方到着

空港へは姪っ子たちが迎えに来てくれていた
真ん中のお姉さんの長女と次女だ

晩御飯は途中の食堂(シクタン)で
韓国も連休だったらしく
開いているお店がなかなか見つからなかった

韓国では昔も今も
日本で言うと前菜というか付け合わせというか
何を注文しても必ずついてくるおかずがある

このお店では9種類
いくら食べてもいい
セルフで好きなだけ取りに行くスタイル

手前のわかめ汁(ミオク)もお代わり自由

姪っ子が注文したメインはこれ

まず、その量にビックリ!

料理名は覚えていないけど
タラの身を干したものを甘辛く炊いた料理

見ての通り、辛い!

けど美味しい!!!

食べやすくハサミで切っていただく

この日は次女の家に泊めてもらうことに

次女は会社の社長をしていて多忙だ

韓国ではマンション購入が主流で
マンションではなく、アパートと呼ぶ

もちろんオンドル完備(キムチ部屋以外)
サムソンの空調設備が人気らしい

冷暖房と空気清浄機
PM2.5にも対応とのこと

窓は三重にもなっていて
防音と寒さ対策もばっちり

翌朝もまた雨模様
外から見える景色
マンションが立ち並ぶ

マンションのワンフロアーに入居しているのは
たいてい2軒~4軒で
1軒あたりの面積がどれほど広いか
日本の平均的家屋の一軒や並み
いやそれ以上のゆとりの空間だ

忙しいのに姪っ子が
朝ご飯を準備してくれていた
普段は食べないという

 

韓国の天ぷら

チャプチェ

トック(お餅)

昔からある韓国の餅は
中にあんこが入っていて
表面にはごま油が塗ってある

いかにも韓国らしく好き

朝、姪っ子の旦那さんに高級車で
スウォンバスターミナルまで送ってもらう

みな韓国の高級車もしくは
ベンツなどの外車

韓国では、黒か白のセダンが主流で
色のついた車はほとんど見かけない
そして、日本では人気の
軽自動車なるものが走っていないことに気づく

通常の旅行と違い
親戚兄弟の家を渡り歩くので
荷物もすべて持って移動

約2時間後、大田(テジョン)に到着

ターミナルでくるみ饅頭発見

今韓国で流行っているらしく
ベビーカステラの中に胡桃が入っている感じ

いくつか買ううちにあとから気づいたが
お店お店で味も食感も全く違う

7年の間の韓国の変化の一つは
コーヒー専門店が街のあちこちにできていること

スターバックスなど馴染みの店も多数

もうひとつは、日本と同じく
コンビニがどこにでもあること

以前の韓国には見られなかった光景
コーヒーというと砂糖とミルクが入った
甘いインスタントコーヒーが当たり前だった時代から
本格的な豆でひいたコーヒーを楽しむ人が増えてきたのだろう

公衆トイレでは個室にペーパーがあるタイプから
個室に入る前に自分で使う分だけ取っていくタイプも

巨大なペーパーホルダー

田舎に見られる光景かもしれない
やはり個室に設置されていた方が
使い勝手がよいかな

韓国ではずっと使用済のペーパーを
トイレに流してはいけなかったけど
最近もそのようで

ただ、新しくできたマンションでは
流しても良いようだった
変化しつつあるのか

使用した紙をそのままゴミ箱に捨てるのは
そういった習慣がない日本人からすると
一番抵抗がある部分だ

さあ、ここからお母さん(オモニ)が住む
真ん中のお兄さんの家まであと少し

ターミナルのお花屋さんで
オモニへ花を買う

韓国も母の日があり、5月8日らしく
日本と同じくカーネーションがたくさん並んでいた

オモニは喜んでくれるかな

そこからタクシーに乗り
次男の家まで向かう
お兄さんの家は山の中だ

もうずいぶん前にオモニの面倒は自分が見ると言って
長男の元からお母さんを連れて行った

韓国は左車線、左運転なので
慣れないとちょっと変な感じがする

車はスマホとナビが連動しており
みな、行き先をスマホに喋りながら走っていた

左折の車は赤でも走行車がなければ進むことができ
交通はスムースで渋滞は起こりにくくなっていた

日本でもよく見かける広告塔は
重い看板は撤去され
布を張ったようなのがあちこちで見受けられた

これだと費用も安くあがりそう
合理的で実に良いのではと感心

こんな田舎にもマンションラッシュ

日本では街中にマンションは建つけれど
田舎には作らない

韓国ではそれだけ住む人がいるのか?
それはちょっと異様な光景にも思えた

ちょっとご年配のタクシーの運転手さんは
昔に何度も日本を訪れたことがあると
話が弾んでいるうちに40分くらいして到着

6人兄弟姉妹の5番目
下のお兄さんの家だ

自分が直しながら作りながら
生活している様子

表の鉄の門は閉まっていて
電話をしても応答なし
中に誰もいないのか・・・

やがて雨が降り出し雨宿りする場所もなく
スーツケースも人も雨でびしょ濡れに

お姉さんに連絡を入れると
一緒にオモニの祝いをしようと
こちらに向かっているという

一番上のお姉さんと息子(夫の甥っ子)
下のお姉さんの三人が約40分後にトラックで到着

甥っ子の仕事の車だという
そこにぎゅうぎゅうに乗り込んで
とにかくお昼を食べることに

オモニはスンデ(豚の腸詰め)が好きだから
スンデのお店にしようとなり

ただし、私は韓国料理でスンデは食べることができない
でもこの場では言うことはできない雰囲気だったので
他の物を注文すればよいかと安易な気持ちでいたけれど

なんと、スンデのお店は本当にスンデしかなかった!

スンデは、豚の腸に春雨や豚の血やらを詰めて茹でたもので
韓国屋台では定番の料理

スンデを汁にしたもの

うわぁ~無理です~(涙)

本当に申し訳ないことに
日本でも内臓系が大の苦手なのでやはり無理

私の分まで夫けんちゃんに食べてもらうことに

お姉さんたちも甥っ子さんも
久しぶりにけんちゃんに会えて嬉しそうです

甥っ子さんは、私のYouTubeを登録してくれて
これから時々観てくれるそう

甥っ子は夫と年齢が近かったこともあり
昔二人でよく遊んだんだとか
けんちゃんの元気な様子配信しなくちゃ

下のお兄さんとは誰も連絡がつかないので
仕方なく次の目的地へ向かうことに
もうひとつの目的
アボジ(お父さん)のお墓参りは
生まれ育った田舎へ

なんといっても移動距離が長くて大変
テジョンの駅まで送ってもらい
そこからは電車で一番上のお兄さん宅へ向かうことに

韓国に昔住んでいた頃から好きだった
バナナウーユー(バナナ牛乳)をコンビニで購入

ああ、変わらぬ美味しさ

お昼を食べ損ねてお腹が空き
お土産予定だったくるみ饅頭を少しつまみ食い

 

新幹線ほどは早くなく
快速電車くらいの速さで約2時間

バスに揺られ、車に揺られ
電車にも揺られ眠くて仕方ありません

と、そこで
お姉さんたちからある情報が入る

今向かっている上のお兄さんは現在入院中とのこと
なのに、お兄さんは予定通りうちに来い!と

まさかの?

カンコクナムジャ(韓国男子)あるある!?

日は暮れていく中
今夜の寝床はあるのだろうか
まあ、いいなくてもなんとかなるだろう

ただ、荷物が重いけどね

そして、お腹が空いていた

オモニにはいつ会えるだろうか

 

~つづく~

 

 

 

 

 

 

 

 

ぽっかりと空いた穴

とてもとても久しぶり

およそ2年ぶりのブログです

母が今年、1月30日に亡くなりました

11月半ばから急に寝たきりになり

話もほぼできないまま2か月半点滴の末

家族に囲まれ静かに息を引き取りました

「口から食べれんようになったらお終いだから

余計なことはなんもせんといて」

常日頃からそう言っていた母でした

2か月半もただだまってそばにいて

きっと私たちが悲しまないようにしてくれたのかな

と姉は言いました

それでも、あんなに元気でよく食べて

冗談ばかり言っていた母だから

私の中では突然に・・・という感覚は消えません

毎日が母と一緒の生活でした

我が家に来てからは常に母のことで

私の一日は回っていました

介護という言葉はあまり使いたくありません

母は亡くなるその瞬間まで

多くのことを教えてくれました

母の遺影に使う写真を探すとき

母の写真が数えきれないほどあることに

改めて驚きました

お店にいる時の母、家族といる時の母

数千枚どころではないかもしれません

きっと私よりも多い・・・

そんな中から選んだのは以前

よくお店に来てくださっていた方が撮ってくださっていた

こちらの一枚

穏やかで優しい母の姿です

 

ここ数年の母の写真とともに

思い出をほんの一部刻みます

 

お店の看板娘 母と私

 

蛭子さんと看板娘 10年前

 

広島の看板娘ファンの男性と

この方は母に会いに

お店を退いてからも

何度も何度も来てくださいました

 

近所のおばあちゃんと

耳が聞こえにくいおばあちゃんに

「しっかりご飯たべようる?」

とジェスチャーで話す母

 

2023年元旦

孫ひ孫に囲まれ嬉しそうな母

 

2023年1月4日

念願だった宮島へ

何時間も待ってようやく食べれたあなご丼

美味しいよ、と喜んで食べた母

 

2023年3月

近所の大きな桜の木の下でお花見

珍しくピザが美味しいと言って沢山食べて

公園で遊ぶひ孫を嬉しそうに見つめる母

 

2023年5月5日 卒寿の祝い

孫ひ孫も全員集まり

しっかりとした口調で皆にお礼の言葉をのべた母

 

 

2023年5月

ひ孫の運動会を見に行きたいと言った母

 

2023年8月 広島の墓参り

父のお墓まで坂道と階段が登れず

ここに来るのも最後じゃね・・とつぶやいた母

赤ちゃんだった末っ子の孫に

おんぶしてもらう母

暑い夏のせいかちょっとしんどそうだった

 

2023年9月 敬老の日

ひ孫の賑やかな声を聴くのが大好きだった母

 

花が大好きで元気なころは

枯れそうな花も全部生き返らせる天才でした

アマリリスが咲くと

ひ孫に見においで、と電話をかけていた

 

今年は不思議なことに

咲き終わったアマリリスがまた伸びて

みごとに二回目の花を咲かせた

さらに、昨年のも同時に伸びて美しく咲いた

きっとおかあさんが咲かせたんだね

 

お花が好きでデイサービスで

あまりにも綺麗綺麗と言うもんだから

職員さんがよく持たせてくれていた

 

玄関先のつる薔薇が満開になると

毎年写真を撮った

2019年5月

 

2021年5月

 

2022年5月

 

2023年5月

今年も薔薇がポツポツ咲き始めました

そこに母はもういません

目を閉じて浮かんでくるのは

寝たきりでだんだんやせ細った母ではなく

元気でよく食べてよくしゃべって笑っている母の姿

お店にリュックを背負いスタスタと歩く後ろ姿

広島で薬局をしていたころ

横のコンクリートの階段をタタタタ・・・と

勢いよく駆け上がる母の姿

 

今でもまだ母がいなくなった実感がなく

16時が近づくと気持ちが焦りだす

デイサービスから帰宅する母はもういないのに

どこに行くにも母が喜ぶから

買い物するのも母が好きだから

知らず知らずのうちに

母を中心に過ごしてきた日々に

ぽっかりと穴が開いたようだ

 

母の電話は解約したのに

消すことができない

私のスマホの母の連絡先その写真