桜の木の下で | ひさみん日和

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桜の木の下で

随分久しぶりの投稿になってしまいました

年末から年始にかけて
個人的なことで心労が続きました

なんとか気持ちの整理をつけて
一歩踏み出したところに

今度は母が転倒して
右上腕を骨折してしまいました

 

救急病院へ搬送され処置を受けた直後

この時はまだ
あまり痛みを感じていない様子でした

医師からは手術を勧められるも
病床がいっぱいということで
翌日、地元の病院へ行くことに

高齢であることを考慮して
担当のお医者さんは
手術はあまり勧めないとのこと

固定も一つにして様子をみることに

でも、そこからが大変でした

ひとりでの生活は難しく当然我が家へ

二階に部屋は空いているものの
階段を上るのは無理なのでとりあえず
一階リビングで寝泊まり

折れた骨が擦れることで
母もかなり痛がり出しました

自分でできるだけ左手を使い
あとは介助が必要です

もちろんトイレもです

右手が使えないことがこんなにも
不便で大変なことを
母も私も思い知りました

心配したケアマネさんが
何度も様子を見に来てくださり

寝ていることで足腰が弱ったり
認知機能が低下することを恐れて
5日後にはデイサービスへ復帰

母が通う病院内にある地域密着型のデイでは
今までも全面的にあらゆる面でサポートして下さり
本人の意向も踏まえ急遽入院となりました

最初は良かったのですが・・・
高齢者の骨折でよく聞く話ではありますが
骨折による歩行のバランスがとりにくかったり

寝る時間が長くなり
歩く機会が減ること

元々早食いのせいもあり
誤嚥性肺炎、心不全などを繰り返し

最初は1~2週間で退院のつもりが
いつの間にかおよそ
2か月経ってしまっていました

2月20日 顔も体もパンパンになった母

 

一週間の治療を終えて
すっきりした母

検査も異常がなくなったことから
やっと退院のめどがたちました

退院までの一週間
一人暮らしは難しいので
うちへ戻ってから少しでも楽なようにと
階段の昇降や腕のリハビリも行いました

ところが・・・・

母はだんだんと元気がなくなり
私の顔を見るたびに
よく泣くように

そして退院予定日前に院長から
お話が

急に具合が悪くなり
検査しても特に悪い箇所は見つからない
脳梗塞を起こしているかもしれないとのこと

救急車で脳外科医に運ぶか

もしかしたらそのこと自体が
大きなダメージを与える
リスクになるかもしれない
など

大きな病院で検査をして入院して転院して・・・

今まで誰よりも高齢者を診てこられた院長先生の
お年寄りがたどる道・・・を危惧されてのお話でした

母は何度ももどし
死にたい、お父さんに会いたいと涙を流していました

寿命が近づいているのなら
最期は母の望むように家で看取ってあげたい

大好きな孫、ひ孫に会わせてあげたい
その一心で院長先生に退院の許可を申し出ました

先生は、それを受けて
「これからはおしっこもウンコも全部アンタがとらんといけんのんで、それができるか」
「看護師は仕事が終わったら解放されるが、家での介護はずっと朝も昼も夜も続くんで」

それが本当に覚悟できるのかと確認されました

はい、できます!やります!

と強く答えると、最後に

「本当にそれがお母さんが
一番望んどると思うんじゃな」

と念を押され、よしわかった!

「わしらもできる限りのことをする」
と、すぐに家に運び入れる
段取りを手配してくださいました

本当は自信なんてあったわけではありません

ただ、このままだと母は確実に死んでしまう
と思えたのです

病院がなにか悪いわけではありません
一生懸命手を尽くしてくださっていましたから

ただ、母の口から「死にたい・・・」というなんて
よほど今の状況が嫌なのだ
その思いが病状を悪くしているに違いない
と思えたからでした

寝たきりの母を運ぶ車いすと大きな車
介護ベッドの手配や看護師さんの配置など

短時間で段取りを整えて下さり
いよいよ我が家へ!
家族とスタッフ大勢で運び入れたのでした

ベッドに寝かせた直後
母は目を開けて先生の手を握り
「先生、ありがとうございました」と
口を開き、周囲をびっくりさせました

先ほどまで死にかけていた人とは思えません

先生も驚かれて
「あんたよほど家に帰りたかったんじゃの」
と一言・・・

 

その夜は、ひ孫も駆けつけてくれて
母はとてもお嬉しそうでした

翌日はベッドの上に座れるようになり
ポータブルトイレを使うようにもなりました

 

リビングの窓から
昇る朝陽を一緒に眺めました

ここはいいところじゃね
海も見えて暖かくて気持ちいい
元気になれそうな気がする

落ち着くと夫けんちゃんの手を握り
ありがとうね、ずっとそばにおってね

娘も仕事から帰ると
世話をしてくれています

ひ孫もひいばあが心配で
学校帰りにどこで摘んだのか
野の花をペットボトルに入れて
持ってきてくれたり

 

手紙を書いてきてくれたり

 

7人の孫と4人のひ孫に囲まれて
母は幸せと思います

 

点滴の治療はしたくない

人は自然に生まれて自然に死んでゆくもの

私も静かに穏やかに余生を送って
なにもせんで自然に弱って自然に死んでゆきたい

母の強い思いを病院に伝え
点滴はしないことにしました

脱水も心配でしたが、母は一日一日
回復しました

元気の源は、いりこ出汁のみそ汁
毎日、みそ汁を作り飲んでもらいました

昔からいりこのみそ汁で元気に育ったんじゃけえ
わたしはみそ汁で元気になるわ

その宣言通り
母はいりこのみそ汁で元気になりました

友達も会いに来てくれました

いつも母に靴下をプレゼントしてくれて
来るときは必ず
いりこ屋のTシャツを着てくれています

 

杏の花や菜の花が咲き誇り

 

 

私も外に全く出ずにいつの間にか
町内の桜も満開になってました

 

毎年、母と花見に行った
鞆の静観寺もみごとな桜

 

階段を上がるのは無理だろうと
半ばあきらめていたら・・・
夫けんちゃんが
母をおんぶして階段を上がってくれました

お陰で今年も桜の木の下で
母と写真を撮ることができました

ちょうど和尚さんが帰ってこられ
とても喜んでくださり
お抹茶をたててくださいました

 

ひ孫も合流し

ああ、よかった
来てよかった・・・と母

 

一時は、今年の桜を見ることは
できないのではと思いました

それが、こんなに元気になって
一緒に桜を眺めることができた

それだけでそのことだけで
後は望むことはありません
本当に幸せとしか言いようがありません

桜を見上げていたら

家族との花見を予定表に書き入れて
2月に亡くなった大切な人

お店を手伝ってくれる前にここで
一緒に花見をしてお茶を飲んだ
大切な友人

来年はもう生きてないかもしれないから
と言って花見の日がどしゃぶり雨の中
みなで集まってお弁当を食べた友人

わたしは思い出していました

天国から見ていますか

今年も桜が綺麗です

母が家に帰ってから
元気になったというこの話をすると
親御さんを病院や施設で看取った方で
「その話を聞いて自分は後悔する」と
言った人がいます

そうではありません

後悔はしないでください

たまたま母はそうなったけど
皆がそうなるわけではないし

人にはそれぞれ役目があり
それぞれの生きる意味があり
それぞれの寿命もあるのです

私はそう思っています

今この時は、私と母に
神様から与えられた
何か意味のある時間
そう捉えています

元気になったとはいえ
歩くときやトイレの介助は必要で

30分以上、ひとりにしておくことはできません

夜中も何度かトイレに起きるので
正直、寝不足も続いています

楽なことばかりではないけれど
できるだけ毎日を明るく楽しく

笑顔で過ごせたらいいなと
思っています

しんどかった時
信頼のおける方から言われた言葉を
いつも心に抱いています

 

一番の親孝行は
一日一回でも
親に笑顔を見せることである

 

 

 

 

 

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けんちゃんのいりこ屋店長・ひさみん(久光智子)
けんちゃんのいりこ屋店長・ひさみん(久光智子)

鞆の浦でいりこ屋を営んでいます。趣味は描く、綴る、歌う。特技は有り合わせで思い付き料理を作ること。
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