19Jan
母が亡くなったあと
自宅や店を整理する中で
たくさんの写真や手紙がありました
母が気に入っていた写真や絵画は
何点かパネルにして店内に飾っていたけれど
全国から寄せられた手紙を一通一通読んでいたら
このまま箱の中に封印していてはいけないと思いました
そうだ、一周忌を迎える一月に
母の追悼イベントとして
これらの写真や絵画を多くの人に見ていただくことが
できたなら・・・
それは、今まで母を慕い
遠くから会いに来てくださったり
手紙や写真、絵画を送ってくださった方々への
感謝を伝えたい展示会でもありました
のろまな亀の私は夏ごろから少しずつ一歩ずつ
頭の中はもうすでにイメージが膨らんでゆきました
まず、会場は
常夜灯のすぐそばにあり
海が見える絶景
古民家をリノベしたギャラリー
《風と鳥と》
チラシは
仕事でも依頼している
鞆のデザイナー
《TAU graphic》江竜さんに
その中でコンサートも行いたくて
生前、母の体調を心配してくださって
CDを送ってくださった
《デュオ三木》さんへ依頼を
そして、皆さんの「母のために」という
ありがたく温かいお気持ちの元に
実現にこぎつけることができたのです
かつて休みの日に母と一緒に店に出てくれていた
昔からの友人が準備を手伝いに来てくれました
太陽が山に沈むころ
ようやく完成することができました!
パネルに入れている写真や
大きめの写真はなるべく壁に
ギャラリーは絵画の展示にも使われ
あちこちに掛けることができて便利です
小さい写真や手紙など
すべてアルバムやファイルに
全て撮って送っていただいていたもの
とてもたくさんの写真に驚きました
鞆の町並みひな祭りの時に
お店のお雛様と写る
写真も多くありました
そこに一年前に私から
母へ描いた絵手紙を飾りました
資料館の絵手紙コンテストに
応募したものですが
1月30日、次第に荒くなるいつもとは違う
母の寝息に覚悟をしながら
ありがとうを伝えたくて描きました
それを知った資料館に携わる方が
探して手元に届けてくださいました
徳島のKさんとの交流が伺える
絵画やはがきなど
「鞆の浦に行ったけれどお店が閉まっていて
会えませんでした。お元気ですか。」
何度かそんなことがあった様子で
その後、再会はできたのでしょうか
蛭子さんがお店に来られた時に
描いてくれた母の似顔絵
当時、手に持って写っている様子
だれが撮ってくださったのでしょうか
芸能人や関西学院、大阪桐蔭など
学生さんたちが書いてくれた色紙
母は学生さんからの色紙をとても大切に
お店に飾っていました
母は編み物が好きで
よくセーターなども編んでくれました
編みかけのレース編み
何を作ろうとしていたのでしょうか
お店でいつもアクリルたわしを編んでは
お客様に差し上げていました
最後に残るアクリルたわしと
その様子を収めた写真
こちらも誰が撮ってくださったのか
貴重な一枚です
ここは海が目の前に広がり
ギャラリーの中でも特等席です
《なんでも書いて帳》として
写真展に訪れた方に自由に母に向けた言葉や
思い出を綴っていただこうと置きました
期間中、訪れた方が
思い思いにメッセージを残してくださいました
ギャラリー隣の
鞆の浦@カフェのお兄さん
母が大好きでいつも優しくしていただきました
8日~13日までギャラリーに常駐し
いきいきとお店に立つ母の写真と
穏やかな海
あの頃の母と一緒にいるようで
私自身もとても癒されました
期間中は、ご近所さんのお食事テイクアウト
おてびの弁当や
とうろどうのうどん
とろろ昆布が懐かしい母の味です
ギャラリーは陽が射しこみ
温かく気持ちが良いです
会場では、お店で撮った画像270点あまりと
テレビ出演した時の動画を流しました
画像の動画はYouTubeでも観ることができます
テレビ動画は年末にブルーレイディスクが
壊れていることが判明し、HDDから取り出せず
万事休す・・・
ところが、いつもお世話になっている
マテリアル駅家の日野さんが
HDDからデータを救出してくださいました!
年末年始は家電もいろいろと壊れ
バタバタだったけど
動画を長女がつなげて編集
写真展までになんとか間に合いました!!
ご近所さんや遠方からも
連日沢山の方が来てくださり
皆さんじっと座って長時間
観てくださっているのが印象的でした
このテレビとテレビ台は
母が使っていたものです
展示している写真を撮ってくださった
カメラマンご本人も来てくださったり
15年前に店と看板娘を題材に
絵を描いてくださった方が
姫路から訪ねてきてくださいました
母はいただいた手紙をとっていたので
展示させていただく旨と
チラシを送っていましたが
十数年も経過していてすでに
引越しされていたり
戻ってきたものも多かったのです
手紙で書かれているその絵がどれなのか
わからないままでしたが
これです!と教えてくださり
その絵の前で記念に写真を撮りました
ご家族にも見せたいとのこと
店の前の太田家蔵の石段に腰掛けて
描いていたらお母様が
お茶とお菓子を出してくださった・・
当時の思い出を話してくださいました
差し入れもたくさんいただいたり
その差し入れを来られた方々でいただいたり
秘蔵の写真を持ってきてくださったり
初めて見る画像を送ってくださったり
引き潮の常夜灯をぐるりと回って
遊ぶ友人
こんな光景が見られるのも
このギャラリーならでは
準備を手伝ってくれた友人が
ウクレレの演奏をしてくれました
お母さんに届けたい・・と
習っているフラダンスも踊ってくれて
心こもった踊りと歌に涙が溢れました
まぁ!すごい!と喜ぶ母の声が
聴こえるようでした
そして、最終日13日
デュオ三木のお二人による
追悼コンサート♪の日
母がお店でお世話になったり
仲良くさせてもらったご近所さん
お客さん、私の友人、広島の親戚
看板娘を慕ってくれた方々が広島や千葉など
遠方からも駆けつけてくれました
段取りは私だけでは何もできず
夫、姉夫婦、娘たち、姪っ子、孫が
それぞれの役割分担でやってくれました!
今年、結成60周年を迎えるお二人
たくさんの曲を披露して下さり
力強くて、優しくて、穏やかで
楽しかったり、悲しかったり・・
だれにも醸し出すことのできない
重厚な心に響く音色でした
そしてその中で、私のわがまま
『アヴェ・マリア』を歌いたい!という
願いを叶えてくださったのです☆彡
アヴェ・マリアは大好きな曲で
母が亡くなってから聴くと
お母さん、お母さん・・・と
心の中で何度も繰り返す
自分の心情と重なりました
練習不足と緊張で
とても満足のいく出来ではなかったけど
心を込めて歌いました
プロのお二人の演奏で
こんな場を与えてくださったこと
おそらく二度とないと思うし
お二人には感謝しかありません
ドリンク休憩をはさみ二部では
夫が好きな《シルクロード》と
韓国の《サランイヨ》を続けて演奏
夫の涙が止まらなくなり
長女がティッシュを差し出す場面も
最後は、母が好きだった《ふるさと》
自分が死んだら、葬式でこの曲を弾いてほしいと
姪っ子に言っていた曲です
葬儀では遺言どおり
姪っ子のフルート演奏に合わせ
みんなで歌って見送りました
最後に60周年を迎えたお二人に
花束を孫たちから
孫二人、長女、次女ともに
母の形見の服を身に着けていました
そういう私も母から譲り受けた
レース編みのカーディガンを着ていて
みんな同じ思いだったのが嬉しかった
三原からスイーツ販売で
来てくれた
k-worksのきみさんと娘さん
ポストカードを持ってきてくれた
かくれんぼさん
写真を撮っていなくて
別の日に購入したものですが
優しい絵が大好きで何か月も前から
来てほしいとオファーしていました
コンサートが終わり
会場の外は穏やかで美しい
空が広がっていました
広島の従姉妹の娘とその子どもたち
最後までじっと聴いていました
左端は千葉から駆けつけてくれた
お友達、三木先生の大ファンでもあります
鞆の浦は陽が沈んだあとが
より一層美しいのです
ゴスペルで共に歌うメンバーと奥さん
いりこ屋看板娘 思い出写真展
そして、追悼コンサート
多くの方に来ていただき
本当にありがとうございました
母を偲んでくださり
本当にありがとうございました
最初から最後まで
関わってくださったみんなの
愛と思いやりに満たされて
感謝と幸せの時間でした
私も自分の中で一区切り
寂しいけれど前を向いて
頑張ろうと思います
ありがとう
ありがとうございました
おかあさん
きっと見ていたよね
三原のお友達が作ってきてくれた
花束を飾りました
口々に、いつも優しい人だった
どんな時も笑顔で迎えてくれた
とてもお世話になった・・
と言われていて
私はそんな風になれないかも
しれないけれど
外見だけは看板娘に似てきたようです
最後まで読んでいただき
ありがとうございました
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