23Oct
登山などおよそ縁のないわたしが
若いころ一度だけ命がけで登った山があった
四国の霊峰石鎚山
もう一度登りたい
死ぬまでにもう一度
あの山頂からの景色を見たい
5年前くらいから次第にその思いは強くなり
天狗岳に続く絶壁を歩く夢をみることもあった
筋トレしたりヨガやピラティスもしたり
でも、今まであまりにも何もしなかった身体は
時々膝が痛くなったり
腰も痛くなったり・・・
年齢は上がるばかりで
だんだん遠のいてしまうようにも思えた
そんなある日
今年こそは行くぞ!と夫が
こちらの事情はおかまいなしに
国民宿舎を予約したのが9月末のこと
決行は10月19日、20日
決まってから、何度か夫について夕方
鞆の太子殿まで登ったけど
それでもやっとこさの状態
実際はこの何倍、十倍、いやもっと!
近づくにつれ
緊張で眠れない日が続き
ついにその日を迎えた
朝、生憎の雨・・・
昼からあがることを期待して出発
雨のしまなみ海道
夫はわたしにしまなみの海から
昇る大きな太陽を見せたかったのだ
今回は残念だったけど・・
四国に入り山の中を走っていると
たびたび絶景に出会い
そのたびに車を止める
前の車のご夫婦も同じく
今年は暑かったせいか
紅葉はさほど進んでおらず
それでも緑と黄色、オレンジ、赤の
コントラストに目を奪われる
(写真が上手く撮れていなくて残念)
そのうち雨も小雨に変わり
雲の方が下に見えた時の感動!
この道はUFOライン(後で知った)
↓
夫けんちゃん、急に
上まで登ってくる!と言って行ってしまった
そんなことしていたもんだから
宿舎についたのは12時だった
チェックインまでにまだ時間あるし
早速、登ろう!と夫
と、その時
ちょうど宿舎の玄関にいたおじさんが
「これから私も行くところだから
よければ案内しましょう。」と
声をかけてくださり同行することに
Yさんは79歳
時間があるときは泊まり込んで
ボランティアとして山の管理や
遭難者の救助など手伝っているとのこと
Yさんの後について山の中へ
79歳とは思えない
重い荷物を背負って
毎日、山を登ったり下ったり
夫けんちゃんの思いやりで
私が背負う荷物は最小限
あとは夫が全て背負ってくれている
こんなに身軽な登山者は一人もいない
ちょっと恥ずかしいけど
自分の身だけで精一杯だった
Yさんは登りながら
息が切れることもなく
登山のノウハウを教えてくれた
秋はどんな天気の時も必ず
服を何枚か重ねて着て出発
30分ほど歩きその時点で
汗ばんできたら一枚づつ脱いで調節
汗をかいて冷えると体温と体力を奪われるので
なるべくかかない程度の歩調で歩く
雨は降っていなくてもカッパを準備
山の天気は変わりやすい
明るいうちに出発しても
ライトは必ず持参すること
山の中は意外と早く暗くなる
などなど・・・
石鎚山の登山ルートは
大きく分けると
ロープウェイを使う成就ルートと
土小屋ルート
私たちは国民宿舎が
土小屋ルートのそばだったので
土小屋ルートから
どちらも歩く距離はあまり変わらないが
土小屋は標高が高い位置にある分
もしかしたら楽に感じるかもしれない?
楽ではなかったけど(;´Д`)
Yさんはこちらのルートが好きだという
花や木を観察したり
階段や岩道やなだらかな勾配や
きつい階段や
足がすくむような場所や
様々なアップダウンがあって
たしかにおもしろい
秋の花はもう終わっていて
わずかに残る小さな花の名前を
時折立ち止まり教えてもらいながら
見返り草
四国ふうろ
どれがどれか忘れちゃったけど
草もみじもきれい
ベンチ1、ベンチ2、ベンチ3で
軽い水分補給をしながら
ゆっくり歩いて予定通り3時間
2の鎖の下までなんとか到着!
頂上まであと30分とのこと
このまま登るか
もしも登るなら帰りは日が暮れるまで
ぎりぎりとのこと
「もしもお二人がよければ
今日は奥さんの予行練習として
明日、もう一度日の出に間にあうよう
早朝出発してもよいですよ。」
と、Yさん
夫だったら何も考えず
どんどん登ろうと言うだろう
夫は真っ暗な山の中でも
生き延びるすべを知っている
でも、わたしはそうはいかないなぁ
既にかなり体力を消耗していたし
できることなら山頂から登る朝陽を見たい!
それで、明日再び挑戦することを選択
夫は、ここで鎖を登ってみたいと
ひとりで登り始め
あれ?
鎖持たずに登ってるんじゃない?
猿なの!(笑)
二ノ鎖は約50m、傾斜は50度
あっという間に見えなくなって
あれよあれよという間に鎖で降りてきた!
ちなみに山頂手前の三ノ鎖は
約60m、傾斜は60度
明日は絶対、鎖も登るぞ!!
それからゆっくり下山
宿舎に着く頃、あたりは
暗くなろうとしていた
やはり、山頂まで行かず正解だった
宿舎に戻りお風呂に浸かって
筋肉の疲れを癒す
ここのお水はすべて
山からの水をひいていて
水が浄化されているからなのか
とても滑らかでまるで温泉みたいだった
こんな時期なので
あちこちに消毒剤も設置されており
食堂も向かい合わないよう
配置されていた
これにお吸い物がついて
川魚の甘露煮と山菜中心の
優しい食事にほっとする
夫はご飯がおいしい、おいしい、と
3杯もお代わりいていた
もちろん、大盛り!(◎_◎;)
翌朝3時出発、ということで
食堂ではお弁当を作ってくれていた
うれしい🎵
これも夫に持ってもらうわけだけど
翌朝に備え、夫は19時過ぎには就寝
私も準備を済ませて20時には布団に・・・
入ったものの眠れない
こんなことってある!?
寝よう寝ようと思えば思うほど
寝れない!眠くならない!
今朝も早起きしてるし
身体は疲れているのに
神経が興奮状態??
楽しみで、不安で
ドキドキなのかワクワクなのか
そうこうしてる間に
2時半、起きる時間
あああああああ——😅
最高のコンディションとは言えない
そして、そのままいざ出発
後ろから夫が
星空がきれいだと言う
星空を見上げると
めまいでふらつく
昼間は周りを見ながら
夜は足元だけを見て注意して歩くように
Yさんが言う
聞けばYさんもあまり眠れていないのだそう
あれから、遭難者の連絡が入り
暗い中、救助に出ていたのだとか!
Yさんのようなボランティアさんのおかげで
私たちが安心して快適に山登りができるということを
忘れてはならない
山頂でのトイレはペーパーを流してはならず
BOXに使用済みのペーパーを入れるのだけど
それをすべて集めてリュックの上にまた
リュックの倍ほどあるごみを背負って運ぶ
それもボランティアさんがやっている
前日の土日で出たトイレのごみは
驚くほどの量だった!
女性の登山者が増えるということは
こういうことなのか・・・と
ちょっと複雑な思い
トイレを使うときは必ず1回
協力金100円以上入れましょう
初日、何も持っておらず反省!
二日目に前日のも入れました
空が少しづつ明るくなってくる
昨日のペースで歩けば
日の出までに間に追うはず
しかし・・・
そうはいかず
しんどい・・・
なんども立ち止まり
口の中を水で濡らしたり
飴を舐めたりしながら
やっと、二ノ鎖の下の
休憩所まで
さあ、あと少し
東の空が明るくなってきた
Yさんは穏やかで物静かな方だけど
要所要所で
「次は階段が〇段ですよ。」
しんどい時は
「あと50歩、数えましょう。」
などと声をかけてくださり
心がめげないよう背中を押してくださった
時折、亡き父と一緒に歩いているような
そんな錯覚に陥る
父が生きている間に
私でも頑張っている姿を見せたかった
なんとか、三の鎖まで到着!
さあ、あともう少し
時計を見たYさんが夫に
「旦那さんは先に行きなさい」と促す
私は間に合わないかもしれないから
先に行って、写真撮って!と
私もそう告げると
わかった!と夫はどんどん先へ
何も食べていないし
力が出ない
足がパンパンで最後の階段がキツイ!
それがこの階段
明るくなってよく見ると
山側に手すりがないのが
めちゃ怖い!
はあはあ息が荒くなる私に
Yさんが静かに声をかける
「今日は少し雲が出ているから
太陽の光が見えるのは
少し後になる可能性がありますよ
運が良ければそれに間に合うでしょう。」
そして、ついにその瞬間が!
着いた!
夢にまでみた石鎚山の山頂へ
既に山頂には数人の人たち
目の前の岩に夫が立っている
次の瞬間
日が昇る
間に合った・・・
胸がいっぱいになって
涙があふれ出す
ここまで導いてくれたYさんに
そして、何よりも
私の願いを現実にしてくれた夫に
感謝の思いでいっぱい
まさか、本当に再びここに来ることが・・
できるとは・・思いませんでした
涙で言葉にならない
ほんとうにありがとうございました
Yさんも涙ぐんでいるように見えた
神様、ありがとう
ありがとうございます
再びこの山に訪れることができました
夢にまで見た山頂の景色
幼いころから何もできなくて
なにをやっても自信がなくて
自分はダメだと思っていた
父が亡くなった後も
ずっと甘えて生きてきた
いやなこと、しんどいことから
いつも逃げてばかりいた
そんな私が親元を離れて
松山で暮らし出会った人たちと
本気で人のために生きる人生を歩みたいと願った
石鎚山の登山はそれまでの自分と決別し
新しく生まれ変わる
そんな思いの決意の場所だった
白装束を身にまとった人たちとともに
鎖をのぼり、天狗岳まで走った記憶
そういうとYさんは、
それは、走るように早く歩いたんでしょう
と笑ったけれど
それだけ、決死の覚悟の場所
動機が正しければ
神様が守ってくださる
導いてくださるという強い信念
今よりもきっと遥かに
信じる心を純粋に持っていたあの頃
あの頃の私に再び出会えた気がした
35年越しに
神社にお参りした後
民宿で作ってもらったお弁当と
Yさんが入れてくれたカップスープを頂く
胸がつまってあまり食べられなかったけど
それからYさんは、
「あとはゆっくりして下山しなさいね。」
とここでお別れ
それから天狗岳へ・・・
行きたいけど足が・・・
まず、この鎖をたどって岩の下に降りる
のだけど風が強い!
そこで夫だけ行ってみることに
この断崖絶壁を歩いてあのてっぺんに
怖がる様子もなくひょいひょい歩き
夫が小さくなる
重いリュック背負ったまま
置いていけばよかったのに
姿を見失い心配になっていると
もうてっぺんにいた!
怪人かしら(笑)
これ
その後、また姿が見えなくなり
しばらく帰ってこないから
もしや滑落したかと心配していたら
天狗岳の向こうの向こうまで
行っていたらしい
やるな!
せっかくだから三の鎖を登ろうということになり
一旦、下まで降りて挑戦!
登るよ~見ててね~(^^♪
ところが
あ、足が・・・
て、手が・・・
若いころはどんなふうにして
これを登ったんだろうね
ティモンディの
やれば、できる!
あの頃はひとりだったけど
今は一人では無理だったかも
夫がいたから
鎖も安心して登ることができた
夫と訪れることができ
人生の転機になるだろう
山頂から見た山々
毎日、少しづつ続けること
Yさんが教えてくれたその言葉は
父もよく言っていた
山々の向こうに瀬戸内海が見える
私の中で何かが変わり始めている
それから私たちは安居渓谷へ
その話はまたの機会に
家路についたら
長女から誕生日の花束が届いていた
記念すべき誕生日に
願いが叶いました
ありがとう
最後まで読んでくれて
ありがとうございました(*^-^*)
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