17Mar
エレベータなし団地の5階に住む
今年88歳になる母が
ついに引っ越しを決意しました
いりこ屋の看板娘として
長年お店に歩いて通った母ですが
ここ3年ほどは車で送迎
それでもたまには歩くこともあり
まだまだ元気と思っていましたが
コロナウイルス感染防止で2か月間
4月からお店を休業してからは
すっかり足腰が弱ってしまったようでした
眺めがよく風通しも良く
18年ほど前に広島から越してきた時から
母のお気に入りの住まいでした
一人ここで倒れて死んでもいいから
ここにずっと居たい、と
言い張っていましたが
周りにも迷惑がかかると
思ったのかもしれません
高齢者の特例措置ということで
修繕なしという条件で
1階に移ることが決まりました
3月11日
私の家族と姉の家族
仕事の都合がつく者たち
母を入れて9名での引っ越しが始まりました
長男も広島から駆けつけて
日頃重たい人たちを運んでるから
こんなのへっちゃら、と言って
同じく消防の甥っ子と
若い者には負けたくない夫けんちゃん(笑)と
男三人が重い家具をどんどん運んでくれました
ポケットが出てるのも気づかず
一生懸命です!
まあ、荷物の多いこと!
こまごました物を
段ボールに詰めながら
一日で終わるのか?
お昼のお弁当タイム
仕出したかのさんのお弁当を
がっつり食べます!
前の引っ越しの時はこの子たちはみな
保育所や小学生でしたが
すっかり大人になり頼もしい
この時、いつも大食いの母が
半分以上残していたのが
少し気になりつつ・・
懐かしいものがいろいろと
でてきました
一部ご紹介!
母が使っていた
ホットカーラー
昭和のにおいがしますね♪
母の日、父の日、誕生日
クリスマス・・・
そのたびに家族で祝った
当時のプログラムや
家族会議の記録などなど
大切に取ってありました
おそらく父が書いたのであろう
かなりへたくそなサンタクロース(笑)
勉強がよくできて物知りで
全てにおいて優秀だった父も
絵を描くのは苦手だったんだ
初めて知ることができてくすっと笑いました
そんな父が中学1年生の時に
書いたと思われる
創立15周年記念に寄せた作文
良いと思う文章に線をひいたり
全てのページを赤ペンで添削していて
いかにも父らしいと思いました
そして薬局時代のうちわやマッチも
母はひとつずつ
思い出に取っていたようです
ケロヨン?ケロちゃん?
薬局をしていた間にも
ケロちゃんは進化しました
左が初代ですね♪
そして、100年以上の時を経て発見!
母の母、私からすると
祖母が学生時代に書いた書のようで
襖一枚ほどもある大きさで
一文字一文字とても丁寧に書かれていました
調べたら、これは千字文といって
中国の梁の時代に武帝が周興嗣に命じて
作らせた文字習得のための教材だそうです
大正十一年三月
第六学年だった祖母の
卒業の作品だったのでしょうか
祖母は母を生んですぐに
亡くなってしまったので
私だけでなく
母もその生きた姿を知ることはできませんが
この書を見ていたら
優しく几帳面で芯はしっかりとした
想像ですが、そんな人柄が
伝わってくるような気がしました
引っ越しは翌日翌々日も片づけで
自分が運ぶわけでないにしても
母はかなり疲れたんでしょう
夜は二晩、我が家へ泊りましたが
そのころから異変がおきました
急に頭がぼーっとして目がうつろ
話がちぐはぐで会話にならない
手足に力が入らず箸も持てない
身体が動かせず自力で起き上がれない
トイレさえも自分でできない
食べたがらない、水分も取らない
これはただごとではないと
土曜日に脳外科へ受診
血液検査、MRIは異常なし
どうしてもおかしいと不安になり
日曜の夜、地元の病院のお世話になりました
突然、認知症のようになりまるで別人のようで
一時はもうこのまま元に戻らないんじゃないか
引っ越しがそんなにストレスだったんだと
今まで丁寧に気持ちに寄り添っていなかったことを
深く深く反省
神様、どうかもう一度
チャンスをください
親孝行できる機会を与えてください
と毎日祈っていました
夫けんちゃんは
引っ越しで神棚が
一番後になってしまっていたことが
気になり掃除して新居に移し
仏壇の前で般若心経を7回唱え
母の回復を祈ったそうです
入院して点滴してもらう中で
日に日に元気(正気)を取り戻し
食べれるようになり
起き上がれるようになり
頭もしっかり話せるようになり
トイレまで歩いていけるように!
母と私はそれぞれに
不思議な夢を見ました
どこかわからないけど
見知らぬ中年の女性が待っていて
「あなた、やっと来たわね」と言って
父方の家系図を見せたのです
家系図で父の名前が書いてある上に
矢印線が引いてあり《養子》の文字
目が覚めてから
父が養子であるわけはないから
変な夢だなあと思っていました
それが、昨日探し物で
母のタンスをあけて
なにやら古い紙が目に留まり
開いてみたら
母と父の両方の家系の戸籍謄本でした
昔の古いハトロン紙で手書き
数枚を紐で綴じてありました
なにかわからないけど
知らないといけないことが
隠されている気がして
読んでいたら
父の祖父は養子
と書かれていた
ああ、これだったんだ
このことを誰か私に知らせてきたんだ
でも、なぜ
必要なことならばそれはきっと
これからわかってくるのでしょう
私は一つの宗教に
固執するのは嫌いです
ただ、誰にも必ず父母がいて
その父母にもそれぞれに父母がいて
命は限りなく果てしなく大昔から
受け継がれて今の自分があること
そして、自分にも子どもがいて
その子にも子どもが生まれて
これからも命のリレーは
続いていくということ
その長い歴史の中には、悲しい出来事や
叶えられなかった願い、沢山の後悔
言えなかった思いもたくさんあったことでしょう
会ったことはなくても
同じこの地球で
確かに生き、泣いたり笑ったりして
生き抜いた先祖に思いを馳せながら
目の前の親を敬い
心から大切にすること
それは先祖も子孫も自分自身も
大切にすることにつながるのだと
引っ越しからの一連の出来事の中で
気づかされた大事なことでした
退院したら母の大好きな
孫ひ孫に囲まれて
幸せな日々を送れますように
最後まで読んでいただき
ありがとうございました
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