介護の入り口に立って | ひさみん日和

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介護の入り口に立って

3月17日のブログで
母の引っ越しからの出来事を綴りましたが

あれからブログを読んでくださった多くの方々から
お母さん調子どう?と声をかけていただき
本当にありがとうございます
仕事と母の世話で自分自身もいっぱいいっぱいで
なかなか報告できずにいましたが

やっと一区切りついたので
あれからの母の様子と
感じたことをお伝えします

入院中、看護師さんや介護士さんの
手厚い看護のおかげで
同室の方の心配や世話をするほど元気に回復し
母は3月22日に退院しました

 

まだ、杖をついての歩行も危なかしく
家の中でも何かにつかまらないと歩けない状態

ケアマネさんの手配でレンタルお試し
トイレの手すりや玄関の椅子も設置

毎日、朝起きると一番に母の家に向かい
(といっても引越しですぐ目の前になった)

・朝の様子を確認
・デイのお迎えを確認
・デイから帰宅後様子を見て
・晩御飯の支度をして6時までに持っていき
・就寝をサポート電気を消して帰る

季節のものを食べてもらおうと
筍やつくし、ふきなど
食べても食べなくても毎日届けます

数日すると次第に母に変化が・・・

今度は病院から自宅への環境の変化に順応が難しかったのか
また元の入院する前の状態
私から見たらその時よりもさらにひどい状態に

歩くこと、食べることや
服の着脱やトイレも難しい状態に・・・

これは、大変!!!

と焦った私は、すぐさま病院へ

退院後もずっとその病院のデイでお世話になっていたので
デイの前に先生の診察を受けることに

そこで先生が言われたのは
私に向けてのキツイ言葉でした

さっきから聞いとったら、ああだこうだ
ぎゃーぎゃーうるさいこと言うて
そんなにうるそうしたらお母さんも余計悪うなるわ

結局、お母さんでなく
自分のことなんよ
自分が困るゆうて一生懸命訴えようるだけ

子育ても同じ
子どもにもああだこうだ口出して手出して
子どもが何にもできんようにする親が多い

放っておけとは言わんけど
もっとおおらかな気持ちで
見守ってあげんといけん

周りの不安な気持ちは全部
本人にそのまま伝わるんじゃ

おかあさんはシャンとしとる!
見てみい

先生が「はい、立ち上がってみて」
と母に声をかけると

それまでじっと先生を見ていた母が

「ハイ!」

と返事してすっと立ち上がるではないか

さっきまで魂が抜けてしまったかのように
目もうつろでぼーっとしていた母が

嬉しそうにニコニコ笑って
「先生わかりました」と言っている

目の前で魔法をみているように
不思議な気持ちになったと同時に

先生の言葉が天の声のように
私の心の奥底に深く響きました

そう、私は心の中で以前の母が正常で
今の母は異常なんだと思っていた
だからはやく元に戻さなきゃとか
何とかしなきゃと焦っていたんだ

だけどそうじゃない

年を取って忘れっぽくなったり
身体も思うように動かせなくなったり
今までできていたことができなくなるのは
当たり前のことなんだ

同い年のだれかと比べたり
以前の母と比べたらいけない

きっと母は自分の衰えを知りつつも迷惑かけまいと
今までひとりでぎりぎりまで頑張ってきたのだ

それが引っ越しという大きな変化をきっかけに
母の中で何かが変わったのだ

中には気になりながらも離れて暮らしていて
ましてや今はコロナ禍で親に会うこともままならず
心配でたまらない人がたくさんいるはず

こうして自分の親の面倒をみれることが
どれだけ幸せなことだろうか

これはきっと私に与えられた
神様からのプレゼントかもしれない

きっとそうに違いない

神さまありがとうございます

いつの間にか自分の大変なことばかり考えて
大切なことを忘れていた

涙があふれて心の中でそっと手をあわせました

良い時も悪い時も母に寄り添っていこう
母がずっと私にそうしてくれたように

その時私は母の介護を心に決めました

あと何年、十年、もし二十年だとしても
母から受けた恩を返すにはあまりにも足りない

母と過ごせる時を大事にしよう

それからは、なにをしても
嬉しくて楽しくて

今日は何を作ろうか
何を話すんだろうか

最初、昼寝から起きた時の母は
時間がわからなくなりぼーっとしてることが多く

もうろうとしているときの母は
今まで聞いたことのない昔の話を延々と繰り返す

たいてい本人は言ったことを覚えていないので
それを私は聞きながらメモを取ることにした

普段は話したがらないこと
誰かに何かに言わされているかのようだ

聞いたことないのになぜか懐かしい人の名前
母は今ご先祖様に頼られているのかな

私がその思い全て聞きとげてあげよう
そんな気持ち

 

するとそのころを境に
毎日少しづつ母に変化が・・

朝起きて我が家の窓から見ると
初めてカーテンが開いている
次の日見ると、カーテンを
ちゃんとフックにかけて止めている

今日は靴が揃えてあった
服をたたんでいた
紙おむつを自分で替えていた
ティファールでお湯を沸かして自分でお茶を飲んでいた
携帯電話から電話がかかってきた

少しづつできることが増えていく

神様、ご先祖様
ありがとうございます
ありがとうございます

私がいない時も自分で何かしようとして
お茶碗を割ってしまったり
水をこぼしてしまったり

そんなことはいろいろとあるけれど

自分でトイレができること
自分で着替えができること
それはすごい進歩だ

やがて気分の良い日は
ベランダの花に水やりをすることも

奥のは姉が買ったラナンキュラス
薄紫は私が買ったクレマチス
手前はひ孫の卒園記念のパンジー

 

やがて今日は何を着ようかと自分で言い出して
引っ越し後そのままになっていたタンスを整理したり
好きなスカーフを選んで首に巻いたり

デイでお風呂に入れてもらった話
カラオケにも出てみた話
体操の先生がイケメン先生だという話
鞆のおばさんはみな元気だという話

何度も何度も話してくれる

今まで忙しい忙しいと言って
母の言葉にいい加減にしか耳を傾けなかった

今は一瞬一瞬が貴重でいとおしい

「いつまでもあんたらに迷惑かけてはおられん
自分のことはできるだけがんばって元気になるけえね」

その宣言通り、引っ越し前と変わらないほど
母は元気になっていきました

そして、以前とは違って見える
1階からの景色を眺めながら

「今までは前のところが一番いいと思っていたけど
日当たりもいいしここからの眺めもすごくいいよ。」

認知機能は以前より衰えていくので
ガスを使わないようにしたり
引き続き食事のサポートは必要ですが

今日はお昼まで
私と一緒にお店にも出ました!

お店の近所の方々からも
声をかけてもらい嬉しそうです

あんた!どうしようたん!
心配しとったんよー

92歳のおばあちゃんと
お互い元気でいような
お店もたまに出んといけんで
と話していました

入院していたのがウソのように
お客さんに声をかけて商品をすすめて
買ってもらっていました

やっぱり、母はすごいです

観光客も減り、客層も若い人が大変を占めていて
店舗の売上は厳しいものがあります

ですが、母は言います

「どんな人にも声をかけてあげんといけん
繋がりを大事にしたら、その人はまた来てくれる。」

母を気にかけてくれて
一番の筍を食べさせてあげてと
茹でて持ってきてくれた友達

元気で良くなってください、と
母の好きなデコポンを渡してくれた友達

草履が好きな母に二股靴下を
持ってきてくれた友達

奈良のお水取りで苦労して奇跡的に授かった
大変貴重な御香水を送ってくれた友達
(封筒を開けた瞬間にふとお香の香りがしました。
実際はしないのだと思うのですが・・
神様のお水、母に飲ませました。)

あんたの友達は優しいね
みんな優しい人ばかりじゃね

病院、デイのスタッフの皆さんにも
毎日サポートしていただいています
周りの方々の真心が母に届いて
おかげで元気になりました♡

先週、広島へ販売に行った帰り
帰り道を間違えてクネクネ走っていたら
偶然にも母方の先祖のお寺の前でした

ここは少し前に母が一番に参りたいと言っていた
母の父母と祖父母のお墓があります

夫けんちゃんが、参っていくかと車をとめてくれて
母の代わりに手を合わせました

会ったことのない祖父母
母さえも記憶にないおじいさん、おばあさん

幼い子供を残して逝かなければならず
さぞかし無念だったでしょうね
どうぞ心配なさらずに
母は私がしっかりと見守りますから
いつかそちらの世界に行くときは
どうぞお迎えお願いしますね

これから、たまにですが
母の気分が向くときは
2~3時間、お店に顔を出す時も
あるかと思います

看板娘さんはお店に出ておられますか
と何度もお問い合わせくださる方もおられます

どうぞこれからもよろしくお願いいたします

長文にもかかわらず
最後まで読んでいただきありがとうございました

 

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けんちゃんのいりこ屋店長・ひさみん(久光智子)
けんちゃんのいりこ屋店長・ひさみん(久光智子)

鞆の浦でいりこ屋を営んでいます。趣味は描く、綴る、歌う。特技は有り合わせで思い付き料理を作ること。
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