26Apr
前回のブログで紹介した
歌手のチョボさん
題名もない長い詩に
曲を付けてくれました
覚えていますか 一緒に帰った道
バス停のベンチで言葉も交わさず
暗くなるまでいくつもバスを見送った日のこと
これはもう何年も前に撮った写真
バス停のベンチももちろん
新しく綺麗になっている
吉島営業所行きの広島バス
私がいつも乗って通っていた
目の前には平和公園
噴水は今も変わらず
同じ位置に
覚えていますか 卒業式で
最後に撮った二人並んだ写真
はにかんだあなたが今でも心に残っています
その時の写真を撮ってくれたのは
当時、一番仲良しで
いつもひっついていた友達
いつもこうして
腕を組んできてたっけ
その彼に“にんじん”と
あだ名をつけて
可愛い人参の絵を描いた手紙を
たくさんくれたね
だけど
彼女はいつの間にか
私もだれも知らない間に
天国へ旅立っていました
37年ぶりの同窓会の翌日
彼女のお墓へ行ったら
ひっそりと寂しく佇むお墓の脇で
白いコスモスと
真っ赤な彼岸花が
風に揺れていた
好きだった ずっときみが好きだった
だけど僕には勇気がなくて
いつも遠くで見つめていたとあなたが語る
知っていた 知っていたけどわたし
知らないふりをして他の人を見ていた
出てきた日記はあなたのことばかり
三年前にクローゼットの奥の箱の中から
出てきた日記たち
中を読んだら
思い出して
涙がこみ上げてきた
私も好き
この一言が素直に言えなかった
三年間
当時、《チッチとサリー》という
漫画の別冊で
読者の応募で作られた本にも
掲載されていた
これはたぶん
中学卒業後だと思う
彼は野球部で
野球で有名な高校へ進学
今ならそれがどれだけ大変な日々だったか
想像することができるけど
当時は運動に縁のない私にとって
全くわからない世界だった
でも、高校へ入って
そんな彼の影響もあって
野球が好きになった
当時はまだ
カープ女子も珍しく
友達と市民球場へ応援に行くと
周りのおじさんたちが喜んでくれた
赤いハッピは
叔母さんが縫ってくれた
達筆だった叔父さんが墨で
選手の名前を筆で書いてくれて
背中には背番号
北別府投手 背番号20
彼と同じ投手だったのと
どこか素朴で顔が赤いところ
彼と重なったせいかもしれない
辛くても途中で逃げ出さず
一生懸命がんばって・・・
四年前、再会したとき
大学も就職も野球一筋でやってきたこと
レギュラーになれなくても
最後まで野球を愛し続けたこと
聞いて心から嬉しかった
野球で勝てなくても
仕事で勝てと
家族で勝てと
最後にたくさんの人に
泣いてもらえる人間になれと
監督さんから教えられたと
そんな話を聞きました
覚えていますか あなたの言葉
人は死ぬときどれだけの人が
泣いてくれるかで生きた価値がわかるんだと
覚えていますか わたしの言葉
その時はわたしがあなたのために
100人分泣いてあげるわと笑った日のこと
もう4年の時が過ぎ去ったけど
37年間誰にも言わず
封印していたことを
彼から聞いたその日
2014年2月15日
うちから見上げた空
嬉しくて 悲しくて泣いた
あの日見上げた青い空を
あなたもどこかで見ていたのでしょうか
涙が落ちる とめどなくこぼれ落ちる
一生分の涙がこぼれ落ちて
いつか見た虹をあなたが渡る
ねえ 今わかったの
人の価値は 涙を流した人の数ではなく
その人のために だれかひとりでも
どれだけの涙を流したかだと
以上、全部ではないけど
チョボさんに歌ってもらった
これがお風呂でふと降りてきた
歌詞でした
手に触れたのも
中学の時のフォークダンスかなんかと
4年前の同窓会の後
元気でと握手した二回だけ
もう会うことも無いかと思う
そんな彼のこと
心から願うのは
あなたの一番の願いが
天に届きますように
小さな願いも全てひとつずつ
叶っていきますように
幸せに笑って
暮らしていけますように
こんなお話に最後まで
お付き合い下さったみなさま
心からありがとうございました 😳
最後に大好きな曲 😮
さだまさしの【主人公】より
あるいは、もしも、だなんて
あなたは嫌ったけど
時をさかのぼるチケットがあれば
欲しくなるときがある
あそこのわかれ道で選び直せるならって
もちろん今の私を
悲しむつもりはない
確かに自分で選んだ以上
精一杯生きる
そうでなきゃあなたにとても
とても恥ずかしいから
あなたは教えてくれた
小さな物語でも
自分の人生の中では
誰もがみな主人公
ときおり思い出の中で
あなたは支えてください
私の人生の中では
私が主人公だと
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